ニューオーリンズ市と砦の降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:47 UTC 版)
「ジャクソン砦・セントフィリップ砦の戦い」の記事における「ニューオーリンズ市と砦の降伏」の解説
詳細は「ニューオーリンズの戦い (南北戦争)」を参照 北軍艦隊はチャルメットで僅かばかりの抵抗を受けただけで、その後はニューオーリンズ市まで真っ直ぐ向かった。残っていた14隻の艦船が4月25日午後にニューオーリンズの前に到着し、市を砲撃できる態勢を整えた。その間にラベル将軍は市内にいた部隊を脱出させたので、防御は不可能になっていた。恐慌に捉われた市民が店舗に押し入り綿花などの物資を焼きウォータフロントの多くを破壊した。未完成だったCSSミシシッピは大急ぎで進水され、メンフィスまで曳航されることが期待されたが、タグボートが見つからなかったので、艦長の命令で焼かれた。ファラガットは市の降伏を要求した。市長と市政委員会は不快な任務をラベルに任せようとしたが、ラベルがそれを押し返した。無益な交渉が3日間続いた後、ファラガットが士官2人を水兵と海兵の分遣隊と共に上陸させた。彼らは税関に向かい、そこで州旗を降ろし、アメリカ合衆国国旗を掲揚した。それが市の北軍に対する公式回答となった。 一方バトラー将軍は、その部隊にファラガットの後塵となった砦への攻撃準備を行わせていた。ポーター中佐がこの時砦より下流にある戦隊の指揮を執っており、砦に降伏要求を送ったが、ダンカン将軍が拒否した。このためにポーターは再度砦に対する砲撃を開始したが、このときはバトラーが攻撃するための準備だった。しかし4月29日夜、ジャクソン砦の守備隊が反乱を起こし、それ以上耐えられないと意思表示した。セントフィリップ砦は反乱に加わらなかったが、2つの砦は相互依存しており、影響を免れなかった。ダンカンは戦闘を続けられないと判断し、翌日に降伏した。 この時がCSSルイジアナの最後だった。艦長のミッチェルは砦近くの南軍海軍を代表しており、降伏交渉に関わらなかった。それ故に宣言された休戦を守る義務はないと判断したので、ルイジアナの破壊を命じた。火を点けた後に纜を解き、下流に下って、セントフィリップ砦の下を過ぎる時に爆発した。その爆発が強烈だったので、砦の兵士1名を殺した。
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