ドングリ運びの経緯・内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 07:31 UTC 版)
「日本熊森協会」の記事における「ドングリ運びの経緯・内容」の解説
後に協会顧問となる東山省三が1990年代までに紀伊山地でドングリ運びを含むツキノワグマ保護活動を始めており、2002-2004年には「紀伊半島自然保護ネットワーク・くまだなの会」が紀伊山地の奥山に定置した給餌台にドングリなどを運び込む活動を行っていた。 熊森協会も2001年までに「都会の公園のドングリを、飢えに苦しむ動物たちが待つ奥山へ」と号して兵庫県などでドングリ運びを開始し、2002年にも行っているにも行っている。2004年から全国に呼び掛けてドングリを集め、マスコミの報道もあって注目を集めるようになった。2010年、2004年、2006年についで3度目のドングリ運びを実施した。規模は拡大の一途をたどっており、2010年には、運び込んだドングリの量は石川県支部だけでも6t超、富山県で4tに達した。また、2010年には車の入れない奥地へのヘリコプターを使用した空輸を行っている。 2006年までは「奥地に入ってクマの痕跡を調べ、通り道にドングリを置いている」「あくまで凶作年の緊急避難的措置」としていた。しかし、2010年からは、活動の内容に次のような大きな変更を加えた。 「既に奥山からクマが出て行ってしまった」として、林道終点や集落裏山など「地元住民が通らないだろうと判断した場所」にも置く。 「熊森協会が送った都会のドングリを地元の役場などが集落の裏に運搬する」というクマ出没の解決策を地元市町村に提案する。 凶作年の翌春にもドングリ運びを行う。
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