トップポイントガード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:08 UTC 版)
「ジェイソン・キッド」の記事における「トップポイントガード」の解説
キッドはオフに長年の課題のジャンプシュートを改善するべく練習を重ねたが、このオフはロックアウトという思わぬ事態で長引くことになった。遅れに遅れた1998-99シーズンの開幕は2月となり、シーズンは通常の82試合から50試合に短縮された。キッドはオフの特訓が実り、FG成功率は44.4%と改善が見られた。また平均16.9得点6.8リバウンド10.8アシスト2.3スティールを記録したキッドは、初のアシスト王にも輝き、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームにも選ばれ、名実共にリーグのトップポイントガードの地位に上り詰めた。しかしチームは故障者が多かったこともあり27勝23敗と前年よりも勝率を落とすと、プレーオフではポートランド・トレイルブレイザーズの前に3戦全敗を喫し、3年連続でプレーオフ1回戦負けを喫したキッドは非難の矢面に立たされた。同時期に父親の死も重なったため、キッドにとっては辛い時期となったが、オフに開催されたバスケットボールアメリカ選手権での活躍は、彼の評価を上昇させた。 サンズは1999-2000シーズンを前にアンファニー・ハーダウェイとオリバー・ミラーを獲得。キッドとハーダウェイのデュオは大きな注目を集めたが、ハーダウェイは怪我がちで全盛期のプレーは再現できなかった。また20試合を消化した時点でダニー・エインジが突然ヘッドコーチを辞任。後任には当時まだ36歳のスコット・スカイルズが選ばれた。キッドは平均14.3得点7.2リバウンド10.1アシスト2.3スティールを記録し、2年連続のアシスト王、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに選ばれた。しかしキッドはシーズン終盤の3月に右足の骨折で戦線離脱。チームの司令塔を失ったサンズは一気に失速するかに思われたが、ショーン・マリオンの成長とケビン・ジョンソンの電撃復帰、スカイルズの手腕によりキッド離脱後も大きく成績を崩すことはなく、サンズは53勝29敗の成績でレギュラーシーズンを終えた。サンズファンにとってプレーオフの関心事はキッドが復帰するかどうかだったが、サンズは意外にもキッド抜きで前年のチャンピオンチーム、サンアントニオ・スパーズ相手に2勝をあげた。キッドは第4戦にて10アシストと金髪の頭を手土産に復活。スパーズを破り、キッドは念願のプレーオフ1回戦突破を果たした。しかしカンファレンス準決勝ではシャキール・オニールとコービー・ブライアントを擁し、黄金期を迎えようとしていたロサンゼルス・レイカーズの前に1勝4敗で屈する。キッドは第4戦で22得点10リバウンド16アシストと自身初のプレーオフでのトリプル・ダブルを達成し、シリーズ唯一の1勝に貢献した。オフにはアメリカ代表として2000年シドニーオリンピックに出場し、金メダルを獲得している。
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