ダ埼玉
(ダサイタマ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/18 19:22 UTC 版)
ダ埼玉(ダさいたま)とは、「ダサい」と「埼玉県」を掛け合わせた造語である[1]。埼玉県を「野暮ったい」「垢抜けない」ものと見なして揶揄することを目的としている[1]。この造語は1980年代初頭、竹の子族という若者たちのファッションから着想を得たタレントのタモリによって考案されたもので[2]、自身が司会を務める『森田一義アワー 笑っていいとも!』内で発信したことを契機に1984年の流行語となった[1][2]。同義語にド埼玉があり、この造語と「ダサい」との組み合わせにより「ダ埼玉」に変化したのだともいわれる[1]。いちタレントの発言に端を発したこの造語は広く普及するとともに、語の使用のみならず、この語が含意する埼玉のイメージをめぐって、行政をはじめとする幅広い人々の反応を引き起こした[3]。以下では、その経緯や背景、その後に与えた影響について詳述する。
注釈
- ^ 『平凡社百科年鑑1983』によると、タモリは1982年(昭和57年)2月14日放送のテレビ朝日系列の番組に出演した際、竹の子族の出身地について「栃木、埼玉、千葉、神奈川で、東京の人間はいない」と発言している[9]。ただし、香咲弥須子著『原宿・竹の子族』によると「"竹の子"が最も多く住んでいるのは、江東区、江戸川区、荒川区をはじめとする、東京東部である。次に多いのが、千葉。続いて埼玉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県、そして山梨県(中略)遠く、山形、広島、京都から通ってくる"竹の子"もいる」と記されており、タモリの主張とは食い違いが生じている[11]。
- ^ 『現代用語事典ブリタモリ』では、本県にちなんだ以下のような内容が記されている。
- ^ 県内に大都市を建設する構想自体は1927年(1927年)に県知事の宮脇梅吉が「一大都市圏構想」を打ち出したことに始まる[23]。1933年(昭和8年)、県南の上水道建設計画に絡んだ「大埼玉市」構想が浮上すると、県からの働きかけもあり浦和・大宮・与野の三町が賛同したが、1934年(昭和9年)に浦和が単独で市制施行したため構想は頓挫した[51]。その後、戦時中の1942年(昭和17年)には疎開受け入れのため「大埼玉市」構想が再浮上[23]。戦後の1954年(昭和29年)には増えすぎた自治体の削減のため構想が再々浮上したが、大宮が難色を示したため実現には至らなかった[23]。
- ^ 久保田は1891年(明治24年)の知事就任以来、埼玉師範学校騒動、権現堂川土木工事入札問題、中学校建設問題、利根川通三か所の護岸工事入札問題など様々なトラブルを引き起こした[57]。さらに、1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では府県知事の公選を望む民意に反して、県警部長・有田義資をはじめ県下の全警察組織を動員し選挙干渉を行うなど強権的な姿勢を取ったため[57]、県議会において不信任決議案が可決された[57]。久保田は県議会を解散させたが、内務大臣・井上馨の命により知事を非職となり、さらに免官となった[57]。第7代知事となった千家尊福は久保田時代の様々な懸案事項を解決したことから第2代県令の白根と同様に「良二千石」と評され[58]、風評も一応の修復を見たが[59]、1897年(明治30年)に第8代知事となった田村政は就任に際し、同年5月1日付けの日刊紙『都新聞』に「埼玉県は元来人気の荒い処にて、某上州に接近したる地方を以て特に然りとす。同地方は強盗賭博争斗等最も多くして、人命を奪ふ事に於いては何とも思はず。恰も禽獣を屠するの感あるが如し」と記し態度を硬化させた[56][60]。
- ^ 横浜出身の主人公が、肉に目がない同僚(埼玉県浦和出身ほか2名)の姿を地域性も絡めて冷笑し[65]、野菜などでカムフラージュしつつ肉を奪取する作戦に出る。が、努力の甲斐もなく次々に肉は奪われていき、理想と現実との狭間で苦悩する、といった内容[67][68]。
出典
- ^ a b c d 米川明彦 編『日本俗語大辞典』東京堂出版、2003年、340頁。ISBN 4-490-10638-6。
- ^ a b c d e f g h i j 史の会 1986、267頁
- ^ 埼玉県議会史編さん委員会 編『埼玉県議会史 第16巻』埼玉県議会、2003年、599頁。
- ^ a b c d 広川峯啓 (2015年2月27日). “タモリ・小田和正「歴史的和解」までの長い道のり”. All About,Inc.. 2015年11月14日閲覧。
- ^ もりひろし (2013年11月26日). “タモリさんと「あの言葉」の関係(前編)その攻撃的芸風を振り返る”. 日経ビジネスオンライン. p. 2. 2015年11月14日閲覧。
- ^ もりひろし (2013年12月3日). “タモリさんと「あの言葉」の関係(後編)着眼点を発信する芸人”. 日経ビジネスオンライン. p. 1. 2015年11月14日閲覧。
- ^ a b まがぬまみえ (2012年1月12日). “『なぜか埼玉』の大ヒットから30年一匹羊として進化する「さいたまんぞう」の食生活”. ダイヤモンド・オンライン. 2015年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e 鶴崎 2010、10-11頁
- ^ a b 平凡社 編『平凡社百科年鑑1983』平凡社、1983年、67頁。
- ^ a b ブリタモリ編纂委員会 1982、219頁
- ^ 香咲弥須子『原宿・竹の子族』第三書館、1981年、47頁。
- ^ ブリタモリ編纂委員会 1982、31頁
- ^ ブリタモリ編纂委員会 1982、108頁
- ^ a b c d e f g h 「"ダサイタマ"論争、県会でも 知事ハッスル答弁」『埼玉新聞』 1984年3月13日 11面。
- ^ もりひろし (2013年12月3日). “タモリさんと「あの言葉」の関係(後編)着眼点を発信する芸人”. 日経ビジネスオンライン. p. 4. 2015年11月14日閲覧。
- ^ a b 矢島 1985、216頁
- ^ a b c d 嵐山光三郎 編『現代都会語事典』講談社、1987年、140頁。ISBN 4-06-203029-2。
- ^ a b c d e f g h i j k 「紙上討論会 なぜダサイ玉」『県民だより』昭和58年9月号 3面、埼玉県広聴広報課、1983年。
- ^ a b c 鶴崎 2010、12頁
- ^ “男の履歴書 所ジョージ”. インライフ. 2015年11月14日閲覧。
- ^ 上之郷利昭『先端知事・畑和の新・現実主義を生きる』講談社、1988年、66-67頁。ISBN 4-06-203765-3。
- ^ a b c 三浦、日本史倶楽部 2009、27頁
- ^ a b c d e 「埼玉県浦和、大宮、与野の三市合併 主導権争いの行方―三市それぞれ思惑乱れて―」『月刊官界』1995年10月号、行政問題研究所、212-215頁。
- ^ 土屋 1997、211頁
- ^ 土屋 1997、104頁
- ^ “「ダサイタマ」は死語? 呼び名と県民反応の歴史 県議会で論争、逆手にPR…”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年12月20日) 2019年2月12日閲覧。
- ^ 土屋 1997、112-113頁
- ^ 土屋 1997、19頁
- ^ 鶴崎 2010、13頁
- ^ “県の愛称「彩の国」について”. 埼玉県ホームページ (2021年5月13日). 2021年11月23日閲覧。
- ^ a b c “埼玉県議会平成19年12月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文”. 埼玉県ホームページ. 2013年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月14日閲覧。
- ^ a b 土屋 1997、212-213頁
- ^ 土屋 1997、31頁
- ^ 土屋 1997、32頁
- ^ 土屋 1997、146-149頁
- ^ a b c d e 土屋 1997、36-37頁
- ^ 土屋 1997、38頁
- ^ 埼玉新聞社 2000、226-228頁
- ^ 土屋 1997、106頁
- ^ a b 埼玉新聞社 2000、18頁
- ^ 埼玉新聞社 2000、211-217頁
- ^ “埼玉県議会平成12年2月一般質問”. 埼玉県ホームページ. 2004年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月14日閲覧。
- ^ a b c 「大衆の笑い」『SD = スペースデザイン』1984年2月号、鹿島出版会、99頁。
- ^ a b 岸川 2014、190頁
- ^ 岸川 2014、193頁
- ^ 小林 1982、53頁
- ^ a b c d 「電波を占拠する国民的タレントタモリの「しゃべっていいとも」」『週刊現代』1983年2月5日号、講談社、47頁。
- ^ a b 小林信彦「小林信彦のコラム 146 タブーと不自由の時代」『キネマ旬報』1985年3月上旬号、キネマ旬報社、119頁。
- ^ a b 近藤 2015、258-260頁
- ^ a b 山藤 1987、151頁
- ^ 史の会 1986、46-47頁
- ^ a b c 小野 1992、41頁
- ^ a b 小野 1992、42頁
- ^ a b 小野 1992、43頁
- ^ a b c 武光 2001、84頁
- ^ a b 小山 1990、4頁
- ^ a b c d 小山 1990、88-89頁
- ^ 小山 1999、164頁
- ^ 小山 1999、166頁
- ^ a b 小山 1990、90頁
- ^ 小山 1990、7頁
- ^ 小山 1990、5頁
- ^ a b 難波 2012、133頁
- ^ 難波 2012、136頁
- ^ a b c d e f 島村マサリ「これはやはり「ディス」なのだ 二〇一九年の「翔んで埼玉」論」『ユリイカ 詩と批評 特集・魔夜峰央』青土社、2019年3月臨時増刊号、264-269頁。
- ^ a b c d さいたま文学館 2009、6頁
- ^ 南信長 (2014年3月20日). “久住昌之と土山しげるのタッグに腹が減る理由”. 幻冬舎plus. 幻冬舎. 2022年1月9日閲覧。
- ^ “『かっこいいスキヤキ』書評「真剣に食べることは人生の豊かさを増してくれる」 (イナダシュンスケ)”. 日刊SPA!. 扶桑社 (2020年12月10日). 2022年1月9日閲覧。
- ^ a b さいたま文学館 2009、1頁
- ^ a b c 高部知子 (2016年3月28日). “55万部!「翔んで埼玉」がバカ売れした理由 30年前の復刻マンガが、なぜ爆発したのか”. 東洋経済ON LINE. 東洋経済新報社. 2020年9月21日閲覧。
- ^ 『読者の3割が埼玉県人!?埼玉ディスマンガ『翔んで埼玉』が55万部突破!』(プレスリリース)宝島社、2016年3月28日 。2018年4月9日閲覧。
- ^ “『映画ドラえもん』がV4!『翔んで埼玉』は25億円突破”. クランクイン!. ハリウッドチャンネル株式会社 (2019年3月26日). 2019年4月閲覧。
- ^ 折田侑駿 (2019年3月9日). “『翔んで埼玉』に見る“ご当地自虐映画”の意外な奥深さ 埼玉、群馬の次に標的になるのはどこだ!?”. Real Sound. 株式会社blueprint. 2020年9月21日閲覧。
- ^ a b 窪田順生 (2019年3月14日). “「翔んで埼玉」ヒットに見る、自虐ネタが大好きな日本の地方の心理”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2020年9月21日閲覧。
- ^ “【話題の本】日本で47番目に有名 『島根自虐伝』島根勝手にに応援会著”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2015年12月19日). 2020年9月21日閲覧。
- ^ 小柳暁子 (2019年3月8日). “なぜ埼玉県民はディスられても平気? 源流はなんと古墳時代に”. 産経ニュース. 産経新聞社. 2020年9月21日閲覧。
- ダ埼玉のページへのリンク