ソロ活動・コラボレーション
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「フィル・ライノット」の記事における「ソロ活動・コラボレーション」の解説
1978年、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』の制作に携わり、最高位8位のシングル・ヒットとなった「パリの散歩道」の作詞を手がける。この曲はムーアの代表曲として彼の生前、必ずライブで取り上げられていた。歌詞の冒頭は「I remember Paris - in 49(1949年のパリを覚えているよ…)」で始まるが、これは父親に宛てたメッセージである。フィルの父親セシル・パリスはブラジル系黒人の軍人であり、アイルランド駐屯中に母親と出会う。1949年にフィルは生まれるが、父親は彼の顔を見ることなく帰国。なお、ライノットは1976年に父と対面を果たすが、自分の幼少期に不在だった父に対して良い感情は持てなかったという。また、1978年にはジョニー・サンダースの『ソー・アローン』にもベースとボーカルでゲスト参加。1979年12月には、シン・リジィのスコット・ゴーハムとブライアン・ダウニー、元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズとポール・クックと共にグリーディーズ (The Greedies)名義のシングル「A Merry Jingle」を発表。 ソロ・キャリアとしてはシン・リジィ在籍時に作った2枚のソロ・アルバムと、バンド解散後の1985年9月にポール・ハードキャッスルのプロデュースによりリリースしたシングル「19」がある。初のソロ・アルバム『ソロ・イン・ソーホー』(1980年)ではマーク・ノップラーやミッジ・ユーロと共演し、ユーロと共作した「Yellow Pearl」がBBCの音楽番組トップ・オブ・ザ・ポップスのテーマ曲として採用された。 また共作としては、1983年にロイ・ウッドらとのユニット「The Rockers」名義によるシングル「We Are The Boys (Who Make All The Noise)」を発表。1985年には、長年の友人だったギタリスト、ゲイリー・ムーアのアルバム『ラン・フォー・カヴァー』のレコーディングに参加し、ゲイリー・ムーア&フィル・ライノット名義によるシングル「アウト・イン・ザ・フィールド」は全英シングルチャートで最高位5位のヒットとなった。 音楽家、ロッカーである一面の他に、センチメンタルな感情を書き綴った詩集を3作出版している。2006年現在、旧友の詩人スマイリー・ボルガーによるフィルの詩集のポエトリー・リーディング集会「Vibes For Philo」が継続して行われている。 2005年、1982年のソロ作品『ザ・フィリップ・ライノット・アルバム』に収録された「Old Town」がアイルランドのポップ・ケルト・ミュージック・グループ、ザ・コアーズのアルバム『ホーム』でカバーされ、「Heart Like a Wheel」との両A面シングルとして全英68位を記録した。
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