ソウケンとは? わかりやすく解説

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そう‐けん〔サウ‐〕【創建】

読み方:そうけん

[名](スル)建物機関などをはじめてつくること。「鎌倉時代に—された禅寺


そう‐けん〔サウ‐〕【創見】

読み方:そうけん

従来にない新し意見独創的な見解。「—に富んだ論文


そう‐けん〔サウ‐〕【双肩】

読み方:そうけん

左右両方の肩。多く責任義務を負うもののたとえにいう。両肩。「—に担う」「国の将来若者の—にかかっている」


そう‐けん〔サウ‐〕【壮健】

読み方:そうけん

[名・形動健康で元気なこと。また、そのさま。「父上は御—ですか」「—な人」


そう‐けん〔サウ‐〕【想見】

読み方:そうけん

[名](スル)思い浮かべること。想像してみること。「情景を—する」


そう‐けん【総見】

読み方:そうけん

[名](スル)芝居相撲などの興行後援する目的団体をつくり、全員見物すること。総見物。「正月興行芸者衆が—する」


そう‐けん【送検】

読み方:そうけん

[名](スル)犯罪者犯罪容疑者また、捜査書類証拠物件警察から検察庁に送ること。「身柄を—する」→書類送検


宋謙Song Qian

ソウケン

(?~?)

孫策孫権の将。

孫策劉繇戦ったとき、宋謙は韓当黄蓋十二とともにお出まし付き従い、ばったりと太史慈に出くわした太史慈とっさに孫策突きかかる一方孫策太史慈の馬を刺し互いに揉み合っているところを宋謙らが駆け寄ったので、二人とも戦い切り上げて解散した太史慈伝》。

合肥戦役では、張遼奇襲をかけてきたので、諸将備え固める暇もなく陳武討死し、宋謙と徐盛敗走したそのとき後方控えていた潘璋が彼らの兵士二人を斬ったので、ようやく持ち直して戦うことができた《潘璋伝》。

黄武元年二二二)、蜀の劉備大軍率いて西方境界線越えてくると、孫権陸遜大都督・仮節とし、朱然潘璋・宋謙・韓当徐盛鮮于丹孫桓五万人を監督させて防がせた《陸遜伝》。陸遜は宋謙らを率いて蜀側の五つ陣営攻撃全て打ち破って敵将を斬った《呉主伝》。劉備白帝城引き揚げたのち、宋謙は徐盛潘璋とともに「必ず劉備捕らえることができますから、どうか再攻撃させてください」と孫権上表したが、孫権許可しなかった《陸遜伝》。

合肥戦役でも夷陵戦役でも、宋謙の名は徐盛潘璋とともに連ねられている。同じ部署所属していたのだろうか

参照韓当 / 黄蓋 / 朱然 / 徐盛 / 鮮于丹 / 孫桓 / 孫権 / 孫策 / 太史慈 / 張遼 / 陳武 / 潘璋 / 陸遜 / 劉備 / 劉繇 / 合肥侯国 / 蜀 / 白帝県 / 仮節 / 大都督



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