スウェーデン系フィンランド人
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スウェーデン系フィンランド人(スウェーデンけいフィンランドじん、スウェーデン語:finlandssvenskar, フィンランド語:suomenruotsalaiset)は、フィンランドの少数派言語集団であり、文化的マイノリティでもある。スウェーデンから移住した人々とその子孫を中心とした集団であるが、近年ではフィンランド語系との通婚が進んでおり、アイデンティティーを共有することによって集団を形成している[注釈 1]。
注釈
- ^ 本記事の出典136箇所(2022年9月17時点)のうち、93箇所に使われている文献の表記は「スウェーデン語系フィンランド人」・「スウェーデン語系住民」・「スウェーデン語系」となっている(吉田 (2001)、吉田 (2007)、冨原 (2009)、カルヤライネン (2014)、石野 (2017)など。)。このため本文の表記は同様に「スウェーデン語系フィンランド人」・「スウェーデン語系住民」・「スウェーデン語系」を優先して表記している。
- ^ 若い世代のスウェーデン語系は、スウェーデンを「フッリの国」とふざけて呼んだりもする[11]。
- ^ 18世紀のストックホルムで「フィンランドにおける方言」という場合は、フィンランド人が話すスウェーデン語を指した[10]。
- ^ エストニアやラトヴィアの島々に住んだ人々は島嶼スウェーデン人やエイボー人と呼ばれ、スウェーデン語を話し約6000人がいたとされる。自治をして暮らしていたが、17世紀末には多くが奴隷や農奴にされた[25]。
- ^ アルヴィドソンは新聞に寄稿した記事の内容を当局に問題視され、スウェーデンに移住して王立図書館職員となった[36]。
- ^ ロシア統治時代のフィンランドのナショナリズムは、ドイツのロマン主義の影響を受けた。特にヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの「一民族一言語」という思想の影響は大きく、フィンランド語とフィンランド民族が対になって考えられた[38]。
- ^ 24歳以上の市民権のある男女に参政権が認められた。フィンランドは世界3番目に女性参政権を認めたほか、世界初の女性の被選挙権を認めた。他方で市民権がないユダヤ人、ロマ、タタール人には参政権はなかった[41]。
- ^ スウェーデン語系およびスウェーデン人民党の後押しにより一時的にフィンランド王国が成立した[43]。
- ^ 自治法では軍事と外交をのぞく自治権が保障され、非武装・中立化と公的機関でのスウェーデン語使用が認められた。なお解決にあたった国連の事務局次長は新渡戸稲造だった[46]。
- ^ スウェーデン語系の政治家でEU加盟反対派だったヤン・マグヌス・ヤンソンらはロシアとの関係を重視したため反対した[54]。
- ^ フィンランドには約7000人のサーミが使うサーミ諸語、約10000人のロマが使うロマニ語、約5000人の話者がいるフィンランド手話があり、同じく憲法第17条で権利が保証されている[9]。
- ^ のちにフィンランドとソ連が継続戦争を起こした際、フィンランドはロシア・カレリアを占領して大フィンランドの実現を目指したが、敗北した[63]。
- ^ 学生会館では演奏中に事件が起き、「ここはスオミ(フィンランド)だ、スオミの歌を唄え」と叫ぶ学生が警棒を持って乱入した[65]。
- ^ 経済協力開発機構(OECD)が実施した生徒の学習到達度調査では、フィンランドの学生は特に読解力で高い学力を示し、その背景に言語教育の影響をみる説もある[83]。
- ^ フィンランド語系にとっての第2内国語はスウェーデン語になる[85]。
- ^ 少数派である難民が、言語的少数派であるスウェーデン語を学ぶことで、「少数派の中の少数派」という立場に追いやられる問題を指摘する研究もある[87]。
- ^ スウェーデン語の教育については否定的な意見が増加しているとされ、スウェーデン語を選択科目にして国際的に有用な言語の学習に時間を割くべきという意見もある。他方でスウェーデン語はEUの公用語でもあるので将来的に重要性が増すという意見がスウェーデン語系には多い[89]。
- ^ 当時のフィンランド語は農民を中心とする言語で、文字として書かれるようになったのは1543年以降からだった[31]。
- ^ スネルマンは知識階級向けのスウェーデン語新聞『サイマ』と、フィンランド語系向けのフィンランド語新聞『農民の友』を発行したが、『サイマ』は検閲で発禁処分を受けた[93]。
- ^ 同時代の北欧諸国は民族主義的ロマン主義の視点からエッダやサガに注目し、フィンランドにも影響を与えた[97]。
- ^ フィンランド初のノーベル賞受賞者は1939年のフィンランド語作家のフランス・エーミル・シッランパーだが、スウェーデン語系の人々と親交があったため国内で糾弾された影響で受賞が遅れた[104]。
- ^ オーグレンがフィンランディア賞を受賞した時点で、著作はフィンランド語に翻訳されていなかった[102]。
- ^ 1952年にタイデハッリ美術館で開催された「クラール・フォルム」展はヴィクトル・ヴァザルリなどの作家を紹介し、大きな影響を与えた[113]。
- ^ ジャンという名はフランス風の読みで、スウェーデン語のヤンやフィンランド語のユハのいずれでもない[116]。
- ^ (1) 神学上の出版物を除く検閲の廃止、(2) 公文書の自由な印刷・配布が認められた。しかし、1771年にグスタフ3世によって公文書公開が条文から削除され、検閲が復活した[120]。
- ^ 『スヴェンスカ・プレッセン』は廃刊後、『ヌゥ・プレッセン』と名を変えて発行を続けた[130]。
- ^ 著作権補償制度は1946年にデンマークで始まって各国に広まり、貸与補償制度はEU加盟の条件になっている[135]。
- ^ スウェーデン語系の批評家・美術史家ヨラン・シルツ』の回想による[137]。
出典
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- 1 スウェーデン系フィンランド人とは
- 2 スウェーデン系フィンランド人の概要
- 3 法的位置
- 4 政治
- 5 宗教
- 6 文化
- 7 著名なスウェーデン系フィンランド人
- 8 関連項目
スウェーデン系フィンランド人
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「フィンランドの人口統計」の記事における「スウェーデン系フィンランド人」の解説
詳細は「スウェーデン系フィンランド人」を参照 フィンランドにおける最大の少数民族はスウェーデン系フィンランド人であり、2015年時点では29万人(人口の5.3%)となっている。スウェーデン系フィンランド人はスウェーデン国籍の人を指すわけではなく、スウェーデン語のフィンランド方言を話すフィン人を指す。しかし、スウェーデン系フィンランド人はスウェーデン人ともフィン人とも違う別の民族として扱われることもある。フィンランドの地方自治体は単言語か二言語で分かれており、スウェーデン語話者の大部分はスウェーデン語のみか、二言語の自治体に住む。これらの自治体は主に海岸地域のポフヤンマー県から南海岸、およびオーランド諸島に位置している。
※この「スウェーデン系フィンランド人」の解説は、「フィンランドの人口統計」の解説の一部です。
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