ジョヴァンニ・ベッリーニ
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ジョヴァンニ・ベッリーニ Giovanni Bellini | |
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自画像 | |
誕生日 | 1430年頃 |
出生地 | ヴェネツィア共和国、ヴェネツィア |
死没年 | 1516年 |
死没地 | ヴェネツィア共和国、ヴェネツィア |
運動・動向 | ヴェネツィア派 |
ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃 - 1516年)は、イタリアルネサンス期の画家。画家一族で知られるベッリーニ家の中で最も重要な画家である。
ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ティントレットらを生んだヴェネツィア派の第一世代を代表する画家であり、15世紀同派最大の巨匠である。父のヤーコポ・ベリーニ、兄のジェンティーレ・ベリーニもそれぞれ高名な画家である。また、パドヴァ派の大画家マンテーニャは義兄弟にあたり[1](ジョヴァンニの姉ニコロシアはマンテーニャと結婚)、ベリーニ兄弟の画風は、マンテーニャの硬質で理知的な絵画からも影響を受けている。1460年作の『ピエタ』は伝統的な画材であるテンペラを用い、硬質な画風にはマンテーニャの影響がみられるが、1480年頃から新しい技法である油彩を用い、柔和な表現と華麗な色彩が特色の、ヴェネツィア派風の作風に移行する。
ジョヴァンニの生年は不明だが、1430年頃と推定され、没年である1516年には80代半ばの高齢であったが、晩年に至っても筆力は衰えなかったことが、現存する作品からうかがえる。彼は長い画業の間に多くの聖母子像を残した。それらは、伝統的な図像に則りながらも、ごく普通の母子の肖像画のような人間味と親近感を与えるものである。
ギャラリー
- 『サン・ジョッベ祭壇画』(1487年頃)、アカデミア美術館 (ヴェネツィア)
- 『ゲッセマネの祈り』(1458-1460年頃)、ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
- 『牧草地の聖母』(1500-1505年ごろ)、ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
- 『神々の饗宴』(1514年)、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)
その他の作品
- 荒野の聖フランチェスコ
画集解説
- 『ジョヴァンニ・ベリーニ イタリア・ルネサンスの巨匠たち.22』
マリオリーナ・オリヴァーリ、篠塚二三男訳、東京書籍、1995年
脚注
- ^ 池上英洋『西洋美術史入門 実践編』筑摩書房、2014年、91頁。ISBN 978-4-480-68913-9。
ジョヴァンニ・ベッリーニ
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「アレクサンドリアでの聖マルコの説教」の記事における「ジョヴァンニ・ベッリーニ」の解説
ジョヴァンニ・ベッリーニ(1431 / 36-1516)はヴェネツィアで、重要な芸術一家に生まれた。ジョヴァンニは父親の工房で働いていたとき、個人事業主のための中小規模の敬虔な依頼作品に集中することによって自身の可能性を示した。最初、兄のジェンティーレとつながり、死ぬまで一緒に働いた。 1479年以降は定期的に総督の宮殿で働き、ヴェネツィアの歴史の場面を描く責務を負った。 1507年に兄が亡くなった後、描き始められていた『アレクサンドリアでの聖マルコの説教』を仕上げた。
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