ジャガー・XJ220
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 03:13 UTC 版)
ジャガー・XJ220 | |
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概要 | |
販売期間 | 1991年 - 1993年 |
設計統括 | ジム・ランドル |
デザイン | キース・ヘルフェット |
ボディ | |
乗車定員 | 2人 |
ボディタイプ | 2ドア クーペ |
駆動方式 | MR |
パワートレイン | |
エンジン | 3,498cc V6DOHCツインターボ |
最高出力 | 550PS/7,200rpm |
最大トルク | 65.66kgfm/4,500rpm |
変速機 | 5速MT |
サス前 | 前後:ダブルウィッシュボーン |
サス後 | 前後:ダブルウィッシュボーン |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,640mm[1] |
全長 | 4,860mm[1] |
全幅 | 2,000mm[1] |
全高 | 1,150mm[1] |
車両重量 | 1,350kg[1] |
その他 | |
最高時速 | 347km/h |
ジャガー・XJ220とは、イギリスのジャガーが発売していたミッドエンジンスポーツカーである。
名前の由来は、最高速220マイル/h(約354km/h)を目標としていたことによる。
概要
元々はジャガー社内の技術者たちが、サークル活動の一環として開発したものが発端となっている。1988年のバーミンガムモーターショーにてプロトタイプが公開された[2]。
ボディパネルはアルミニウム製で、シャシーはアルミハニカムをアルミ板で挟んだパネルによるモノコック構造。フロントには可変式のスポイラーを装備。サスペンションは、ダブルウィッシュボーン式を採用し、レーシングカー並みのセッティングを施していた。
ボディのデザインは、幻に終わったレーシングプロトタイプ「XJ13」をモチーフとした。インテリアはコノリーレザー製高級レザーハイドのトリム、ウィルトン製ウールカーペットなど、そのレーシングカーに準じた性能とは裏腹にジャガーらしい豪華なものであった。
経緯
ショーデビュー当初はまだ市販が決定していなかったが、たちまち1,500台に及ぶ注文が殺到し、のちにトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)との連携で市販が決定した。
デビュー当初は6.0リットルV型12気筒DOHCをミッドシップレイアウトで搭載したフルタイム四輪駆動車になる予定であった。しかし生産化が正式に決定した後、これでは重量があまりにも大きくなることがわかり、やむなくグループCカーのXJR-11やIMSA-GTPカーのXJR-10に使用されていたJRV-6エンジン(3.5リットルV6DOHCツインターボ)をミッドシップレイアウトで後輪駆動とすることとなった。
最高速度は目標の220マイル/hには届かなかったもののカタログで「200マイル/h以上」を謳い、実際にも347km/h(216マイル/h)であり、当時としては世界最速だった。0-100km/h加速も僅か3.9秒と、高いポテンシャルを持っていた。
市販モデルは1991年の東京モーターショーで発表。価格は29万ポンドで、当初は名前にちなんで限定220台の予定だったが、世界的な好景気により注文が殺到。急遽生産台数が350台にまで引き上げられた。
前述のエンジンの問題を解決するため、実際のデリバリーは1992年まで遅れてしまったが、うってかわって時は世界的不況。さらにはV型12気筒エンジンが搭載されないことへの不満や、同時期にTWRが発表したXJR-15と市場が競合してしまったことなどからその高いポテンシャルにもかかわらず最終的には281台ほどしか売れず、日本への正規輸入もなかった。
エンジンはドライサンプで水冷式ターボチャージャーと空冷式インタークーラーを備えていた。ボアφ94mm×ストローク84mmで3,498cc。最大出力は500hp(373kW)/6,500rpm、472lb/ft(640Nm)/5,000rpm[1]。
ホイールはフロント9J17、リア14J18のアルニウム製センターロック式。タイヤはフロント245/40ZR17、リア345/35ZR18[1]。
レース参戦
1993年のル・マン24時間レースのカテゴリー4(GTクラス)に、XJ220のレーシングバージョンである「XJ220C」が3台出走。うちジョン・ニールセン/デビッド・ブラバム/デビッド・クルサード組が総合15位・クラス優勝を果たしたが、2週間後に排気系のレギュレーション違反が発覚して失格となった。 その後も度々出場しているが、スポーツカーとして、そしてレーシングマシンベースとしては大柄なボディが災いし目立った成績を残せないまま1995年前後にサーキットから去っている。1995年のル・マン24時間レースにリチャード・パイパー率いる「PC Automotive」から2台エントリーした内の一台は、後にナンバーを取得し、現在は日本に存在すると言われている。
関連項目
参考文献
- ティーポ1998年8月号増刊『スポーツカーカタログ見聞録』ネコ・パブリッシング
脚注
固有名詞の分類
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