ジェイムズ・ケアード号の航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 17:12 UTC 版)
ジェイムズ・ケアード号の航海(英: Voyage of the James Caird)は、アーネスト・シャクルトンが率いた帝国南極横断探検隊の中で、1916年に南極のサウスシェトランド諸島にあるエレファント島から、南大西洋のサウスジョージア島まで、約800海里 (1,500 km) を小さなボートで渡ったものである。探検隊は遠征に使ったエンデュアランス号が氷に潰された後で、エレファント島にわたり、その中から6人が救援を求めるために改造した救命ボートで出発した。極圏歴史家達は、それまで行われた中でもこの航海は小さなボートでの最大級の航海になったと評した。
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- ^ Shackleton, South, p. 191.
- ^ Huntford, p. 571, states that Norwegian skiers had "probably" crossed at various points, but these journeys were not recorded.
- ^ Quoted by Huntford, p. 597.
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- ^ “The James Caird”. Dulwich College. 2008年8月19日閲覧。
- 1 ジェイムズ・ケアード号の航海とは
- 2 ジェイムズ・ケアード号の航海の概要
- 3 準備
- 4 無甲板ボートの旅
- 5 サウスジョージア
- 6 航海の後
- 7 参考文献
ジェイムズ・ケアード号の航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/17 13:43 UTC 版)
「フランク・ワースリー」の記事における「ジェイムズ・ケアード号の航海」の解説
詳細は「ジェイムズ・ケアード号の航海」を参照 幅20マイル (32 km) の岩と氷の島、エレファント島は、ほとんど隠れ場もなく、特に冬が近づいている時期で、隊員の多くが続く試練のために体力が弱っている時には有難くない環境だった。さらにこの場所は捜索隊が視認したり、通りすがりの捕鯨船が認めたりする可能性がほとんど無かった。エレファント島に上陸してから数日の内に、シャクルトンは小さな隊を率い、最大の救命ボートであるジェイムズ・ケアード号(遠征の後援者の1人の名前を付けていた)で800海里 (1,500 km) 離れたサウスジョージアまで航海することに決めた。そこまで行けば救援船の協力を得て、島に残された隊員を救出に来られるはずだった。ワースリーはそのナビゲーション能力故にシャクルトンに印象を与えており、同行することを志願した。ジェイムズ・ケアード号は元々ワースリーの仕様書で建造されたものであり、艇長22.5フィート (6.9 m) のボートだった。遠征隊の船大工ハリー・マクニッシュが即座にその外洋航海性を高める改良に取り掛かった。4月24日、天候が晴れ、30日分の食料を積んだジェイムズ・ケアード号はエレファント島を離れた。ワースリーの任務は南大西洋上をサウスジョージア島までナビゲイトすることだった。ジェイムズ・ケアード号が南大西洋に入ったときにエラーの余裕は無く、もし島を見つけられなければ、この救命ボートに乗った隊員ばかりか、エレファント島に残った隊員全員の死を意味していた。島を出た頃の天候は好都合であり、ボートの位置を見定めるために高度の低い冬の太陽を視認することができた。 ジェイムズ・ケアード号にはシャクルトンとワースリーに加えて、大工のマクニッシュ、水兵のジョン・ビンセントとティモシー・マッカーシー、さらに経験を積んだトム・クリーンが乗っていた。島を離れてから間もなく氷に遭遇したが、ワースリーがその間を抜けて開けた海に誘導した。この旅の間、乗員は3人2組が後退でウォッチにあたり、荒海の中をサウスジョージア島まで辿り着くのに16日間を要した。この航海の大半で、天候は大荒れであり、ワースリーがその六分儀を使って位置決めできたのは数回に過ぎなかった。そのうちの一度について「片腕でマストを抱きしめ、マストと六分儀、その他全ての周りに前後ろに振られ」ており、「ボートが波の頂点に飛び出したときに太陽を掴む」ことになったと記述していた。波が非常に荒かったときには、位置決めをする間に他の隊員に抱きしめられていた。温度が降下したときには、隊員が1分間交代でジェイムズ・ケアード号の上面についた氷を払い落として、浮力を保っていた。荒海では、隊員がボートの甲板に行けるとしてもかなりの危険性があった。 ワースリーは2週間後に島を視認できないことを心配し始め、シャクルトンに、現在位置の精度が10マイル (16 km) 以内には抑えられないと告げた。その結果、シャクルトンはジェイムズ・ケアード号をサウスジョージア島の西海岸に着けるよう命じた。偏西風の影響を考えれば、目標に付けるのをしくじったとしても、島の東側に付けられることを意味していた。翌日、海藻が浮いているのを視認でき、頭上を海鳥が舞っているのが見られた。これは前方に島があることを示していた。5月8日、霧とスコールの向こうにサウスジョージア島のデミドフ岬を視認でき、まさしくワースリーが計算したコースの船上にあることが分かった。ワースリーは「聳え立つ黒い岩山とその側面に雪のレース模様。一瞥してまた隠れた。我々は互いを快活に見合い、滑稽な苦笑いをして」見ていた。海と風の状態のために、ノルウェー人の捕鯨基地に直接寄せることができそうになかった。そこは東海岸にあり148マイル (238 km) ほども離れていた。その代りに南西海岸のキングホーコン湾にボートを付けることにした。このときは飲み水も無くなっている状態だった。荒海によって岩の多い海岸に寄せられるので、夜の間に吹きよせられないようにした。翌日は強風が吹き、最大限の努力はしたが、もう一晩沖で待つことにした。5月10日の状態はかなり良くなり、逆風のために最初の数回の試みは失敗したが、ワースリーが注意深くジェイムズ・ケアード号を進めてキングホーコン湾を守る岩礁を通り砂利浜に上陸した。
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