クリミア・ハン国とは? わかりやすく解説

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クリミア・ハン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 14:23 UTC 版)

クリミア・ハン国(クリミア・ハンこく、クリム・ハン国とも。クリミア・タタール語: قرم خانلغى, ラテン文字転写: Qırım Hanlığı, キリル文字転写: Къырым Ханлыгъы, ウクライナ語: Кримське ханство, ロシア語: Крымское ханство1441年頃 - 1783年)は、ジョチ・ウルスの後継国家のひとつで、クリミア半島を中心に存在した国家。首都バフチサライ


  1. ^ 17世紀ロシアの外交官コトシーヒンによると、この時期にクリミア・ハン国にあてた公文書の中ではロシア皇帝はただツァーリとだけ名乗り、兄弟関係および隣人関係の名において呼びかけられ、皇子たちが兄弟と呼ばれることはない、という[2]
  1. ^ ハージー1世ギレイ英語版は、バシ・テムル(: Bash Timurまたは: Tash Timur)の子。Henry Hoyle Howorth, "History of the Mongols from the 9th to the 19th Century. Part 2. The So-Called Tartars of Russia and Central Asia. Division 1.", p.21, ISBN 9781402177729
  2. ^ G・コトシーヒン 『ピョートル前夜のロシア』彩流社、2003年、84頁。 
  3. ^ クリム・ハン国”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2023年4月2日閲覧。


「クリミア・ハン国」の続きの解説一覧

クリミア・ハン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:56 UTC 版)

オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」の記事における「クリミア・ハン国」の解説

劇中では主に「クリミア」と呼ばれるオスマン帝国の従属国で、スレイマン母后ハフサの祖国である。ヒュッレム誘拐したのは、このクリミア・ハン国である。

※この「クリミア・ハン国」の解説は、「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」の解説の一部です。
「クリミア・ハン国」を含む「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」の記事については、「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」の概要を参照ください。


クリミア・ハン国(1441年–1783年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:47 UTC 版)

クリミアの歴史」の記事における「クリミア・ハン国(1441年1783年)」の解説

詳細は「クリミア・ハン国」を参照 1395年トクタミシュ・ハンティムール敗れて没落しジョチ・ウルス分裂が進むと、クリミアにいたタタール諸部族は、1441年チンギス・カン末裔バトゥの弟トカ・テムルの子孫)であるハジ・ギレイをハンとしてクリミア・ハン国を形成した。都は当初クルク・イェル(英語版)に置かれ16世紀初めにバフチサライ移った。 クリミア・ハン国の支配圏は黒海北岸ステップ一帯広がり、東はクバンから西はドニエストル川まで及んだ。しかし、彼らは半島南岸ジェノヴァ交易都市支配下に置くことはできなかった。のちにハン国では内紛起こりクリミア諸部族オスマン帝国メフメト2世援軍要請したため、1475年大宰相ゲディク・アフメト・パシャが率いオスマン軍クリミア南部ジェノヴァ領諸都市攻め落とし支配下置いた:78内紛敗れてカッファ現在のフェオドシヤ)に逃げ込みジェノヴァ人の捕虜になっていたハジ・ギレイの子メングリ・ギレイは、イスタンブールに連れ去られ捕虜となったが、のちにオスマン帝国への忠誠誓って解放され復位し、クリミア・ハン国はオスマン帝国属国となった:78。それでもクリミア・ハン国はオスマン帝国から高度な自治権認められており、自主的な統治行ったハン国支配下部族からなる騎兵ウクライナへの襲撃英語版)を繰り返し捕虜奴隷としてオスマン帝国市場供給した:781450年から1586年にかけては86回、1600年から1647年にかけては70回の襲撃記録されている:1061570年代には、年間に2万人近い奴隷カッファ取引されていた。

※この「クリミア・ハン国(1441年–1783年)」の解説は、「クリミアの歴史」の解説の一部です。
「クリミア・ハン国(1441年–1783年)」を含む「クリミアの歴史」の記事については、「クリミアの歴史」の概要を参照ください。

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