カレーのしみん【カレーの市民】
カレーの市民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 03:15 UTC 版)
カレーの市民(カレーのしみん、仏: Les Bourgeois de Calais)は、オーギュスト・ロダン作の著名な彫刻のひとつで、1888年に完成した。
- ^ a b オーギュスト・ロダン ロダン館 静岡県立美術館
- ^ http://www.kunstmuseumbasel.ch/en/home/
- ^ 日本にもたらされたロダン《カレーの市民》 ZEPHYROS(ゼフュロス)第21号(平成16年11月20日発行)、国立西洋美術館
- ^ http://www.stanford.edu/dept/news/stanfordtoday/ed/9807/9807ncf401.shtml
- 1 カレーの市民とは
- 2 カレーの市民の概要
- 3 関連項目
カレーの市民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:37 UTC 版)
「カレー包囲戦 (1346年-1347年)」の記事における「カレーの市民」の解説
フランス側では、カレー開城の際に6人の市民代表がエドワード3世の元に出頭して市民を救ったという以下のような話が広く知られており、ロダンはこれを元に彫像「カレーの市民」を作成し、現在もカレー市内に設置されている。ただし、イングランド側では、騎士道を重んじたエドワード3世が市民を全員処刑するつもりだったというのは在り得ない話だと否定的である。 カレーが飢餓により開城を申し出た時、エドワード3世は、これ程に抵抗してイングランドを苦しめた罰として、全市民を処刑するも身代金を取るもエドワード3世の自由とする無条件降伏を要求した。しかし、交渉に当たったウィリアム・マーニーなどの忠告により、市民を助ける代わりに主要な6人の市民が代表として、無帽、裸足で首に処刑のためのロープをまいて出頭するよう命じた。これを受けて、ユスターシュ・サンピエールを始めとした6人の市民が勇敢に名乗りを上げ、指示された通りの装いで城門の鍵を持って王の元に現れた。王は彼らの処刑を命じたが、王妃フィリッパの涙ながらの取り成しにより、彼らの命を助けた。フィリッパは彼らを丁重にもてなしカレーに帰らせた。
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