オハフ80形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:17 UTC 版)
10番台オハ80形と対をなす緩急車。オハ80形の登場と同様の経緯でオハフ33形を改造して和式客車化したものである。 1969年(昭和44年)5月に3両が改造され、続いて1970年(昭和45年)10月には1両が改造されて合計4両が出揃った。 改造は全車を国鉄長野工場が担当し、いずれも種車は後期車が用いられた。 内装や出入台の片側が閉鎖されていたところはオハ80形と同様である。また、2010番台とされた車番が示すように、改造後は全車に電気暖房装置が追設されていた。 2両のオハフ80形10番台が4両のオハ80形を挟み込む形で6両編成に組成され、名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局に各1編成が配属された。 竣工後は好評裏に運用されたが、1972年(昭和47年)に後継としてスロ62・スロフ62形を改造した、スロ81系が冷房付きでグリーン車のまま営業運転を開始すると陳腐化が一気に目立ちはじめ、同年に座席定員を減らした上でグリーン車に格上げされたが、冷房装置の未設置や台車の相違による快適性および乗り心地の格差は埋められず、最終的には1974年(昭和49年)にスロ81系に置き換えられる形で2編成とも淘汰され、形式消滅となった。 なお、その一部は廃車後に当時ブームであったSLホテルに払い下げられ、野辺山SLホテルと沖縄リゾートステーションで宿泊施設として使用されたが、いずれもSLホテルの廃業で1990年代までに解体処分となっており、現存しない。
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