エルンスト・ガーデルマン
エルンスト・ガーデルマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:15 UTC 版)
「ハンス=ウルリッヒ・ルーデル」の記事における「エルンスト・ガーデルマン」の解説
エルンスト・ガーデルマン(Dr. med. Ernst Gadermann)はロートマンの後任の機銃手。出撃回数は850回を超え、騎士鉄十字章を授与されている。1913年12月25日生まれ、ドイツ・ヴッパータール出身。1941年10月、軍医として第2急降下爆撃航空団第III飛行大隊(III./StG2)に配属され、当時中尉であったルーデルと出会う。両者とも非常にスポーツが好きだという共通点があったためすぐ親友同士となり、一般兵に交じってルーデルと訓練を受けるガーデルマンの姿がよく見受けられたという。1941年の冬から後部機銃手として勤務し始めたが、誰かの専属の機銃手にはならずにいた。しかし、後席としての確かな技量と、医者であることによる必要な医療の提供は、全てのパイロットから絶大な信頼を寄せられるに至った。1944年5月、親友のルーデルが専属の機銃手を亡くしたこともあり、同機に着任。ルーデルが右脚を失う1945年2月9日まで出撃をこなした。2月9日以降もガーデルマンが機銃手を務めるはずだったが、ルーデルがベルリンの病院を退院した際には西部ドイツのブラウンシュヴァイクに居り、制空権がとられ交通も麻痺した状態では移動もままならず、結局戦争中に2人が再会することはなかった。その後、米軍の捕虜になるもすぐに釈放され、ヴッパータールの実家に帰郷している。 専門は循環器で、撃墜されて負傷したルーデルに応急処置を施すこともあった。1945年2月8日にルーデルが右脚を吹き飛ばされた際には、意識を失ったルーデルを炎上する機体から引きずりおろし、さらに止血を施すことでその命を救っている。最終階級は少佐。二級鉄十字章、一級鉄十字章、ドイツ黄金十字章(1943年10月17日)、騎士鉄十字章(1944年8月17日)を受章。戦後は医師として活動し1972年のミュンヘンオリンピックでは医学教授陣のチーフを務める。1973年11月26日のハンブルクでの講演中に心臓発作を起こし死去。59歳没。ソ連軍エース・パイロットであるレフ・シェスタコフ大佐を後部機銃で撃墜した人物として挙げられるが、シェスタコフが行方不明になった1944年3月13日はガーデルマン着任〈1944年5月〉の2ヶ月前の出来事であり、その時はまだヘンシェルが着任していた時期である。ただし、ルーデルの伝記にはこの日はガーデルマンが座っていたという記述があり、訳あってヘンシェルと交代していたと思われる。 1972年にルーデルと語り合うガーデルマンの写真が残されている。
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