エドワード王太子との不倫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:59 UTC 版)
「ウォリス・シンプソン」の記事における「エドワード王太子との不倫」の解説
シンプソン夫妻を王太子エドワードに紹介したのは、当時の王太子の愛人であった、ファーネス子爵夫人テルマであった。1931年1月に、夫人の別荘で催されたパーティーにおいて2人は出会い、ウォリスは王太子に一目惚れし、同年6月にはバッキンガム宮殿で開かれた王太子の父ジョージ5世の謁見にシンプソン夫妻が揃って参内した。テルマがニューヨークに出かけた1933年の冬頃、ウォリスは王太子と不倫関係となった。 以降の2年間は、王太子から夫妻揃って幾度となくロンドン郊外の王室所有の別荘に招待される様になったが、王太子は次第にウォリスにのみ極端に緊密に接するようになり、ウォリス自身もその様な王太子にますます惹かれていった。その後の王太子は、シンプソン夫婦がまだ婚姻関係にあるにもかかわらず、外遊には必ずウォリスを同伴させ、高価な宝石などを好きなだけ買い与え続け、王太子の邸宅で同棲するにまで至った。 一方ウォリスの夫シンプソンにも当時愛人がおり、シンプソンは妻と王太子のこのような行状をほぼ黙認していたといわれる。さらにウォリスも、駐英ドイツ大使でその後ドイツの外務大臣となったヨアヒム・フォン・リッベントロップや他のイギリス人とも性的関係にあったと噂された。 1936年1月のジョージ5世の死後、王太子は独身のまま「エドワード8世」として王位を継承し、即位式にはウォリスが立会人として付き添った。しかし、王室関係者はウォリスを「ただの友人」扱いをしたため、エドワード8世はウォリスに対して「愛は募るばかりだ。別れていることがこんなに地獄だとは」などと熱いまでの恋心を綴ったラブレターを送ったり、これ見よがしにウォリスと同年の8月から9月の間に王室の所有するヨットで海外旅行に出かける、ウォリスと共にペアルックのセーターを着て公の場に登場する等アピールを繰り返した。しまいには、スタンリー・ボールドウィン首相らが出席しているパーティーの席上で、ウォリスの夫アーネストに対して「さっさと離婚しろ」などと恫喝した挙句に暴行を加えるなどといった騒ぎまで引き起こした。
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