ウェーク島の防備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:39 UTC 版)
「ウェーク島の戦い」の記事における「ウェーク島の防備」の解説
ウェーク島は1935年にパンアメリカン航空が進出して太平洋横断航空路の中継地として使用されるようになり、その後アメリカ海軍の航空基地としての防備がなされた。1939年にアメリカ連邦議会がグアム島の基地強化計画を否決したことでウェーク島の戦略的価値も低下したが、その一方で潜水艦、駆逐艦など根拠地や海軍航空基地追加の必要性調査のため設置されたヘップバーン委員会により勧告されたウェーク島の海軍航空基地および潜水艦基地としての強化が認められた。それを受けて、滑走路の建造や水路の浚渫工事などが開始され、1941年8月には陸上機用の滑走路が完成した。また、1941年8月にハワイの海兵隊第一防禦大隊の一部178名がウェーク島へ派遣された。同年11月には、さらに約200名が派遣され、ウェーク島守備隊は388名になった。また、11月には航空基地設営要員やウェーク島の指揮官カニンガム中佐も到着。12月4日には、空母「エンタープライズ」が第211海兵戦闘飛行隊のF4F ワイルドキャット戦闘機(以降 F4F 戦闘機)12機を輸送してきた。開戦時の人員はモリソン戦史によれば海兵隊449名(米海兵隊戦史によれば422名)、海軍68名、陸軍飛行隊5名、パンアメリカン航空70名、民間作業員1146名であった。主要な砲台は、ウェーク本島には南西端のピーコック岬と島西部、北部ヒール岬合計4箇所、ウィルクス島とピール島にはそれぞれ2箇所配され、機銃座も数箇所据えつけられていた。
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