インド支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:05 UTC 版)
艦隊は8月22日にアンジェディヴァ諸島で結集した。そして病人を下船させるなどの処置を行い28日に出航した。その後海賊との戦闘やバテイカラ王国を服従させるなどを行いつつ、やがてインドに到達した。ここでヴァスコは15レグア(約60km)沖に艦隊を展開し海域を封鎖した。船はすべて捕え、敵対国のものは抑留した。カレクトの商人らは和平の手紙をよこしたがヴァスコは拒絶し、逆にカレクトに向かっていたマムルーク朝スルターン所有のメリという船を捕え、財宝を奪った上に火をかけて、抵抗する婦女子50人を含む300人を死に追いやった。 10月13日、ヴァスコは友好的なカナノールに入港したが、香料の取引が不調に終わるとカレクトへ向かった。10月29日に最初の接触が行われたが、ヴァスコは過去の損害賠償とカレクトからのイスラム教徒排除を求めた。理不尽な要求を呑めないと伝える使者はヴァスコの強行な姿勢を感じ、国王は海岸線に防御柵を急ぎ設置させた。翌日正午、艦隊は海岸に迫り市街に激しい砲撃を加え始め、住人はほとんどが避難した。 2日後、ヴァスコは艦隊のほとんどを残してコチンに向かい、11月14日に国王らと会見して友好関係を確認した。交易にめどが立つと今度はカナノールに渡ると同様に交易を行った。その後バラモンを仲介役にもう一度カレクトとの接触を試みたが、海を封鎖され漁業にも支障をきたす住民の不満は大きく、国王との交渉も進展を見なかった。ついには100隻近いバテル船が攻撃を加え始め、艦隊は錨を切って脱出した。コチンに戻ると積荷が終了していたため1503年2月1日に出発し、途中で襲撃して来たカレクト艦隊を撃破して15日にはカナノールに入り、3月22日に帰国の途についた。ヴァスコが交易で得た品は、胡椒、肉桂、蘇木、丁字、生姜などであった。ヴァスコは10月10日にリスボンに帰着した。
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