インド政府との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:18 UTC 版)
「ウスマーン・アリー・ハーン」の記事における「インド政府との対立」の解説
インド政府はパキスタンと国境を接するジャンムー・カシュミール藩王国の旧領確保を優先させたため、同年11月にニザーム藩王国ととりあえず「現状維持」の暫定協定を結んだ。だが、インド政府はハイダラーバードが「中パキスタン」として、西パキスタンと東パキスタンとの間に成立してしまうことを懸念していたため、両国の対立は続くこととなった ハイダラーバード側もその一方で、インドが武器や弾薬のハイダラーバードへの輸出の禁止や、空輸を妨害したこと、ハイダラーバードがインド国内で持っている証券などの資産凍結などは協定違反だと非難して応酬した。 1948年1月、ウスマーン・アリー・ハーンがパキスタンへ2億ルピーの借款を提供することを発表し、インド政府がかねてから懸念していたような事態となった。当時、インドとパキスタンの間ではジャンムー・カシュミール藩王国の旧領をめぐり、第一次印パ戦争が勃発しており、これは戦争中の相手に事実上の軍資金を提供する行為だとしてインド側を激怒させた。 さらに、ニザーム藩王国がアメリカUP通信の送受信所設置を認めたことや、海への出口を求めてポルトガルの支配下であったゴア港を購入しようとして、事実上の独立国であるかのように振る舞い始めた。これらの同国の行為により、両国の対立は加速度的に悪くなっていった。 両国の対立の表面化はこれだけではなかった。インド側はこれとともに、インドの法定通貨であるインド・ルピーの使用をニザーム藩王国が拒否していること、ハイダラーバード産の貴金属のインドへの輸出を禁止したことなどを協定違反だと非難した.
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