アルティガスの連邦派とは? わかりやすく解説

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アルティガスの連邦派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 03:45 UTC 版)

連邦同盟」の記事における「アルティガスの連邦派」の解説

それまでエントレ・リオス州コリエンテス州サンタフェ州からなるリトラル三州は、域内ラ・プラタ川の港を有するために中央集権的な政策をもって海外貿易独占し自由貿易掲げて内陸部弱体な国内産業壊滅追いやろうとするブエノスアイレスとの折り合いが非常に悪かった。 既にバンダ・オリエンタルは、1811年ブエノスアイレス主導独立パラグアイアルト・ペルーコルドバと共に認めずに独自の姿勢打ち出していたが、1815年にホセ・アルティガスがモンテビデオからブエノスアイレス軍隊追い払うと、彼は同年その地でラテン・アメリカ初の土地改革行い、ここを拠点ブエノスアイレス中央集権主義対抗しようとした。 ブエノスアイレス唯一太刀打ちできる良港モンテビデオ有する立場から、アルティガスブエノスアイレス貿易独占反対し、ここで東方州改組されたバンダ・オリエンタルリトラル三州意見一致をみた。ここにコルドバ州とアンドレス・グアスラリーの率いミシオネス州加わって連邦同盟結成されブエノスアイレス貿易独占反対と、国内産業保護するための保護貿易と、各州自治権擁護掲げて同盟を結び、モンテビデオ外港指定した。 こうして連邦同盟アルティガスの旗掲げてブエノスアイレス中央集権派と戦った。この旗は東方州の旗でもあり、エントレ・リオス州旗も連邦同盟の旗とほぼ同一である。 アルティガス最終的にリオ・デ・ラ・プラタ副王領、つまり現在のウルグアイアルゼンチンパラグアイボリビア統括するアメリカ合衆国のような国家形成しようとしていたが、1816年始まったブラジルからのポルトガル軍侵攻ブエノスアイレスリオ・デ・ジャネイロ同時に相手にしなければならないアルティガス立場厳しいものにした。 1820年ゲリラ的抵抗続けていた連邦派の統領アルティガスポルトガル軍への最終的敗北により失脚し、この時点アルティガス当初目標実現不可能なものになり、この敗北受けてアルティーガスの連邦同盟崩壊した以降アルゼンチンには連邦派と名乗る勢力現れアルティガス連邦同盟似たような支持層から支持されるが、理念としてはアルティガス考えていたものからは変質したものとなる。

※この「アルティガスの連邦派」の解説は、「連邦同盟」の解説の一部です。
「アルティガスの連邦派」を含む「連邦同盟」の記事については、「連邦同盟」の概要を参照ください。

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