アミールの一覧
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「イスラーム期のクレタ」の記事における「アミールの一覧」の解説
イスラーム期のクレタ内部の歴史は、史料が乏しいことが原因で、つまびらかに語ることが難しい。それでもアラブ側のアラビア語史料により、支配者の地位「イマーラ(アミール職)」がおおむね男系子孫に世襲されたことがわかり、各アミールの名前も知ることができる。ビザンツ側のギリシア語史料にもクレタの支配者の名前がギリシア語風に転訛したかたちで記録されており、一部の者については没年等、ある程度のライフヒストリーも判明している。史料間の矛盾や曖昧な部分も多いが、近代的な歴史学以前から好事家により続けられてきた古銭趣味(古銭学)の成果も利用することにより、クレタのアミールの名前とその継承順を確立させることができる。 名前ギリシア語史料における名前ラテンアルファベットによる表記在位アブー・ハフス Ἀπόχαψ/Ἀπόχαψις Apohaps/Apohapsis 827/828年-855年頃 シュアイブ(英語版) Σαΐπης/Σαῆτ Saipes/Saet 855年頃-880年頃 アブー・アブドゥッラー(英語版) Βαβδέλ Babdel 880年-895年頃 ザルクーン(英語版) Ζερκουνῆς Zerkounes 895年-910年頃 ユースフ(英語版) - - 910年頃-915年頃 アリー(英語版) - - 915年頃-925年頃 アフマド(英語版) - - 925年頃-940年頃 シュアイブ(英語版) - - 940年-943年 アリー(英語版) - - 943年-949年 アブドゥルアズィーズ(英語版) Κουρουπᾶς Kouroupas 949年-961年
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アミールの一覧
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「イスラーム期のシチリア」の記事における「アミールの一覧」の解説
アル=ハサン・ブン・アリー・アル=カルビー(英語版)(948年-953年) アフマド・ブン・アル=ハサン・アル=ムイッズィーヤ(Ahmad ibn al-Hasan al-Muizziyya、953年-969年) ヤイーシュ(Yaish、969年) アフマド・ブン・アル=ハサン・アル=ムイッズィーヤ(Ahmad ibn al-Hasan al-Muizziyya、969年-970年) アブー・ル=カースィム・アリー・ブン・アル=ハサン・アル=カルビー(英語版)(970年-982年) ジャービル・ブン・アリー(Jabir ibn 'Ali、982年-983年) ジャアファル・ブン・ムハンマド(Ja'far ibn Muhammad、983年-986年) アブドゥッラーフ・ブン・ムハンマド(Abd Allah ibn Muhammad、986年) ユースフ・アル=カルビー(Yusuf al-Kalbi、986年-998年) ジャアファル2世(998年-1019年) アフマド2世・アル=アクハル(Ahmad II al-Akhal、1017年-1037年) アブドゥッラーフ・アブー・ハフス、Abd Allah Abu Hafs、1035年-1040年、ズィール朝の総督。1037年にアフマド2世を撃破し殺害した) ハッサーン・アッ=サムサム(Hasan al-Samsam、1040-1044年、1053年死亡)
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