トゥールーン朝とは? わかりやすく解説

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トゥールーン朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/19 04:45 UTC 版)

トゥールーン朝(トゥールーンちょう、アラビア語: الطولونيون‎)はイスラーム期エジプト英語版ビラード・アッ=シャーム英語版シリア)における初の独立王朝[1]。868年から905年まで独立を維持したが、イスラームの中央政権であるアッバース朝カリフ政府によって打ち破られ支配地は回収された。


注釈

  1. ^ 佐藤 1991の説明ではマムルーク兵士が24,000人となっている[5]。しかし、清水はイスラーム圏の奴隷軍人を一律にマムルークと呼称することの問題点を指摘し、イスラーム初期のマワーリーやアッバース朝期の奴隷軍人(グラーム)が後世のマムルーク朝の奴隷軍人(マムルーク)とは質的に異なるものであることを指摘している。この清水が佐藤 1991を引いて、「トゥールーン朝やサーマーン朝に大規模かつ体系的なグラーム軍団が存在したことはよく知られている[4]」と描写しているため、ここではトゥールーン朝の奴隷兵士をグラームと呼ぶ。

出典

  1. ^ The Emergence of Muslim Rule in India: Some Historical Disconnects and Missing Links, Tanvir Anjum, Islamic Studies, Vol. 46, No. 2 (Summer 2007), 233.
  2. ^ a b c d e "Tulunid Dynasty." Encyclopædia Britannica
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o "Ṭūlūnids," Encyclopaedia of Islam
  4. ^ a b c 清水 2005, p. 80
  5. ^ a b c 佐藤 1991, p. 78
  6. ^ 最初の数値はグレゴリオ暦の年号を示し、後の年号はイスラーム圏で用いられるヒジュラ暦を示す。
  7. ^ Lev, Yaacov, War and society in the eastern Mediterranean, 7th-15th centuries, BRILL, 1997, pp.129-130
  8. ^ Behrens-Abouseif (1989)
  9. ^ a b c d e f "Ḵh̲umārawayh b. Aḥmad b. Ṭūlūn ," Encyclopaedia of Islam
  10. ^ Rizk, Yunan Labib.Royal mix Archived 25 June 2013 at the Wayback Machine.. Al-Ahram Weekly. 2–8 March 2006, Issue No. 784.
  11. ^ Rapoport (2000), p. 27-8
  12. ^ a b c "Aḥmad b. Ṭūlūn" Encyclopaedia of Islam


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