まぶし型辛子明太子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:28 UTC 版)
日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮の釜山との間に関釜連絡船を運航していた。また、中国との定期連絡船も存在し、スケトウダラ(明太魚)の辛子漬け(明太卵漬け)を運んでいた。朝鮮側の連絡船では釜山を経由して、明太の卵巣の辛子漬け(「明卵漬(明卵젓 / 명란젓、myeongranjeot、ミョンランジョッ)」)が下関へ輸入された。この当時の明太卵漬けはタレと唐辛子に漬け込まれており、朝鮮の明卵漬は唐辛子やニンニクで漬け込んだ現代の「キムチ」に近いものであった。
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