たきはらのみやとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 神社データベース > たきはらのみやの意味・解説 

瀧原宮・瀧原竝宮

瀧原宮 たきはらのみや

瀧原竝宮 たきはらならびのみや

ご祭神 両宮共 「天照大神皇大御神御魂
    あまてらしますすめおおみかみのみたま

鎮座地 三重県度会郡大宮町滝原

アクセスJR紀勢線滝原駅下車徒歩10分。
 三重交通南紀特急バス「滝原宮前」下車すぐ。
 車で勢和多気ICより約20分。
「瀧原宮」「瀧原竝宮」は、伊勢市から宮川を約40�Hさかのぼったところ、支流大内川流れ山間国道42号線東側鎮座する
 ともに皇大神宮内宮)の別宮で、昔から「大神の遥宮(とわのみや)」と言われ両宮とも同じところに御殿ならべて鎮座している。「瀧原」という名は、大小たくさんの滝があるところから出た名である。
 倭姫命が、御杖代御使い)として天照坐皇大御神奉戴して、宮川下流磯宮をお発ちになり、上流方に御鎮座の地を求めて進みになると、砂をも流す急流の瀬があり困っておられたので、真奈胡神(まなこのかみ)がお出迎えをしてお渡し申し上げた
そこで命はそのところに真奈胡神をまつる御瀬社(みせのやしろ)をお定めになったのが、今の皇大神宮摂社多岐原神社」であるという。瀧原宮の下流約6�H、大宮町三瀬川宮川に臨む断崖の上鎮座されている。近年までここに熊野街道の「三瀬の渡し」があった。
倭姫命はさらに真奈胡神の案内でお進みになると、「大河瀧原の国」という美わしい土地があったので、この地に草木刈り払って新宮建てられたのが、瀧原宮の起源である。
 そののち皇大神宮御神意によって、再び伊勢の方へ向かわれた。この御由緒により御遷幸後もかわることなく皇大神宮を奉斎して今日至っている。
なお、両宮とも皇大御神御魂を奉斎しているのは、皇大神宮皇大御神奉祀し、同別宮荒祭宮皇大御神荒御魂を奉斎する姿の古い形と考えられる
 宿衛屋(社務所にあたるところ)の南に
谷水流れ御手洗場(みたらしば)がある。
参拝前に、ここで手を洗い口を漱ぐ
瀧原竝宮 瀧原宮
 両別宮とも構造は同じ皇大神宮準じ神明造鰹木偶数六本
内宮偶数で十本・外宮奇数の九本)
千木は内削(内宮は内削で外宮が外削)、周囲には瑞垣玉垣の二重の御垣があり、
御垣にはそれぞれ瑞垣御門玉垣御門がある。
若宮神社(ご祭神若宮神) 長由介神社川島神社
(ご祭神・長由介神、川島神)
東の一段高ところに所管社若宮神社南面し鎮座し長由介神社(ながゆけ)と
川島神社(長由介神社御同座)が、西面して鎮座する
三社とも創立年代極めて古いと考えられる
 瀧原宮の宮域は44ヘクタールあり、
その地勢皇大神宮内宮)とよく似ている



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「たきはらのみや」の関連用語

たきはらのみやのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



たきはらのみやのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
神社ふり~く神社ふり~く
Copyright © 2024 ななかまど All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS