けん‐そん【謙遜】
けんそん 【謙遜】
宗教的な謙遜は単に「へりくだる」ことだけではなしに、そこに絶対者への絶対信頼があって意義が存立している。キリスト教では謙遜とは「自分の罪を自覚し、高ぶった思いを捨て、低きにつく心の持ちかたをいう(略)イエスが称賛した〈こころの貧しい人〉または〈悲しんでいる人〉とは、へりくだった心の人のことであった。彼らはその反面に、神への信頼に生きている」と教え(『キリスト教大事典』)、仏教の浄土教でも、二種深信ということを中国の善導が教え、法然・親鸞らが継承している。それは①機(素質・能力)の深信。自己の能力・素質は愚劣であって、阿弥陀仏の誓願力でなければ出離の縁がないと深く信ずること。②法の深信。愚劣の素質・能力を抱擁するものは、ただ弥陀一仏のみであると、その威神力を深く信ずること、の二種の深い信仰であって、この二種の信仰が決定しないと往生は難しいというのである(中村元『仏教語大辞典』)。
「けんそん」の例文・使い方・用例・文例
- けんそんのページへのリンク