『天正記』とは? わかりやすく解説

『天正記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:06 UTC 版)

大村由己」の記事における「『天正記』」の解説

天正8年1580年)の三木合戦から天正18年1590年)の小田原征伐まで、天正年間秀吉の活躍を記録する軍記物。別名を『秀吉事記』とも。小瀬甫庵『太閤記』など、後の秀吉主役軍記物語成立大きな影響与えた。由己の代表作である。元来12巻から成るが、全て現存するわけではない詳細は以下。 『播磨別所記』 主に三木合戦様相記述する天正13年1585年)には貝塚蟄居中の本願寺顕如教如親子の前で由己本人朗読した伝わっている。 『惟任退治記』(惟任謀反記) 本能寺の変から山崎の戦い経て信長葬儀に至るまでを記述する天正10年1582年成立『柴田退治記』柴田合戦記) 賤ヶ岳の戦いとその前後事情秀吉大坂城築城などを記述する天正11年1583年成立『紀州御発向記』 紀伊攻め記録『関白任官記』 天正13年1585年)の秀吉の関白就任正当性主張する書物秀吉祖父萩中納言呼ばれる貴人であり、母は宮中出仕していたなど信憑性疑われる記述が多いため、後世歴史家からは重視されていない天正13年1585年成立『四国御発向並北国御動座記』 四国長宗我部元親ら(四国征伐)、および越中国佐々成政らとの戦い記録『聚楽行幸記』 天正16年1588年4月14日から5日間に渡って行われた後陽成天皇聚楽第への行幸有様記録した書物天正16年1588年成立『金賦之記』 天正17年1589年5月20日聚楽第秀吉諸大名金銀振舞ったことを記録した書物思われる。現在では散逸している。 『大政所御煩平癒記』 秀吉の母の大政所が病から回復した記録思われる。現在では散逸『若公御誕生之記』 豊臣鶴松誕生記録思われる。現在では散逸『西国征伐記』 九州征伐記録思われる。現在では散逸『小田原御陣』 小田原後北条氏攻め記録。(小田原征伐

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