「阿蘇」時代とは? わかりやすく解説

「阿蘇」時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 00:01 UTC 版)

阿蘇 (装甲巡洋艦)」の記事における「「阿蘇」時代」の解説

1905年明治38年1月1日旅順要塞ロシア軍降伏一部資料によると、バヤーンはロシア海軍により爆破された。5月25日日本海軍本艦浮揚作業着手する旅順攻囲戦沈没した戦利艦各艦の中で、最初に浮揚作業着手した艦艇だったという。6月24日浮揚成功8月22日、バヤーンは戦利艦として日本艦籍編入される軍艦阿蘇改名舞鶴鎮守府籍。阿蘇戦艦鎮遠曳航され、駆逐艦護衛と共に内地へ向かうことになった8月23日、3隻(阿蘇鎮遠)は旅順大連)を出発する8月27日附で、1 等巡洋艦類別8月28日、3隻(阿蘇鎮遠)は舞鶴到着した阿蘇1908年明治41年)まで改造修理を行う。大修理必要だったため、横浜沖の凱旋観艦式には参列できなかった。 1909年明治42年)から1911年明治44年)まで、練習艦隊少尉候補生遠洋航海従事阿蘇宗谷(旧ヴァリャーグ)は練習艦として活躍した第一次世界大戦中は、日本近海哨戒に当たる。 同時期、日本海軍機雷敷設艦改造予定高千穂改造済)の浪速型防護巡洋艦2隻(浪速高千穂)を相次いで喪失したため、旧式装甲巡洋艦敷設艦改造順次着手。「津軽」(大正4年四号機雷400個)、続いて阿蘇」(大正6年五号機雷420個)が改造される1920年大正9年4月1日艦艇類別等級改正。3隻(阿蘇津軽勝力新造艦》)は敷設艦類別変更主砲塔撤去される1922年大正11年)のシベリア出兵に際しては、沿海州海域出動した1931年昭和6年4月1日除籍阿蘇廃艦第4号仮称される。日本海軍敷設艦2隻(阿蘇常磐)の代艦としてロンドン軍縮条約により新型敷設艦建造することになり、阿蘇代艦として沖島2代目)建造された(沖島1934年9月27日起工1935年11月15日進水1936年9月30日竣工)。

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