「踊る埴輪」説の提唱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:45 UTC 版)
「埴輪 踊る人々」の記事における「「踊る埴輪」説の提唱」の解説
埴輪の研究史において、この2体を「踊っている人物」と定義したのは、当時東京帝室博物館に在籍していた考古学者の後藤守一である。 後藤は、1931年(昭和6年)発表の論文「埴輪の意義」にて、埴輪に表現される服飾や装備品、所作から分類を行い、個々の埴輪の表す職掌的性格について分析した。そこで群馬県伊勢崎市の上武士(剛志)天神山古墳出土の「琴を弾く男子」と「太鼓を叩く男子」の存在から音楽を奏でる一群を見出だし、それに対応する歌舞を舞う人物の例として野原古墳出土の2体を挙げて『踊る男女』とした。この他にも「巫女」や「鷹匠」など、職掌を冠する分類、名称の設定を行った。また、これらの人物・動物・器財を表した形象埴輪群に対し、死んで古墳に葬られる首長(豪族)を送る葬儀、葬列を表すものではないかとして、形象埴輪のもつ具体的な意義・解釈にも初めて言及した。 後藤による「踊る男女(埴輪)」をはじめとする各種埴輪の分類名称は、以後の学界の埴輪研究に大きな影響を与え、水野正好が1971年(昭和46年)に発表した、人物埴輪およびその配列(埴輪群像)の持つ意味について検討した「埴輪芸能論」などにも継承された。
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