「丸山諭吉」神話説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 08:59 UTC 版)
法政大学法学部教授の飯田泰三は、丸山眞男が福澤諭吉の思想を研究する際に、福澤を市民的自由主義者と認識し、福澤の文章に中に自分自身の思想を投影するように一体化して福澤の文章を読み込んでいった研究方法を「丸山諭吉」と呼んでいる。平山は「飯田は、丸山が市民的自由主義者としての福沢と自身とを重ねている、という意味で「丸山諭吉」という言葉を造語したのである。福沢を市民的自由主義者として捉えること自体は当然の前提としてあり、その上で丸山は福沢の文章の内に自分自身を投影させている、という意味である」と説明している。 一方、安川は福澤を侵略的絶対主義者と認識し、丸山は福澤が侵略的絶対主義者であることを示す史料を無視し、自身の思想に都合のよい史料のみを選んで読み込んでいったと主張し、そのような丸山の研究方法により形成された虚像を「丸山諭吉」神話と呼んでいる。そして、安川は2003年(平成15年)に『福沢諭吉と丸山眞男』(高文研)を出版し、「「丸山諭吉」神話を解体する」という副題を付けている。高文研の『福沢諭吉と丸山眞男』のサイトでは、「「典型的な市民的自由主義」の思想家・福沢諭吉。これが丸山眞男が造形し、確立した福沢像だった。(中略)丸山の福沢像は、こうした事実を完全に無視し、福沢の著作の都合のいい部分だけを取り上げ、勝手な読み込みによって造りあげた虚像だった」と解説されている。 平山は、福澤を市民的自由主義者とする認識が丸山の研究以前に田中王堂・高橋誠一郎・高橋義雄の著作に既に存在していたと指摘し、「丸山は、福沢を市民的自由主義者と理解する研究史本流の半ばに位置してはいても、決してその源泉にいたわけではない」と説明している。
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