諭吉とは?

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福澤諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/27 22:10 UTC 版)

(諭吉 から転送)

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体福沢 諭吉天保5年12月12日1835年1月10日)- 明治34年(1901年2月3日)は、日本武士中津藩士のち旗本)、蘭学者著述家啓蒙思想家教育者慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。




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  1. ^ 慶應義塾編・発行『慶應義塾百年史 中(前)』、1960、p.507
  2. ^ 余が印章に三十一谷人の五字を刻
  3. ^ 北康利 『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』 講談社、2007年3月。ISBN 978-4-06-213884-0(21頁)
  4. ^ 学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書など。一方、慶應義塾大学をはじめとする学校法人慶應義塾の公式ホームページでは「福澤諭吉」と表記されている。例えば、理念と歴史を参照。なお、学術書でも「福澤諭吉」の表記を用いるものも近年、出現している。
  5. ^ 百助が所持していた伊藤東涯の『易経集注』という書は福澤家に残され、現在は慶應義塾大学に寄託されている。
  6. ^ 明治生命による
  7. ^ 福沢諭吉と亀井学の思想:福沢における「縦に慣れたる資力」とは何か
  8. ^

    製薬の事につい ても奇談がある。 るとき硫酸りゆうさん を造ろうと云うので、様々大骨折おおぼねおつ て不完全ながら色の黒い硫酸が出来たから、これ を精製して透明にしなければならぬと云うので、その日は ず茶椀に入れて棚の上に上げておい た処が、鶴田仙庵が自分で之を忘れて、何かのはずみ にその茶椀を棚から落して硫酸を頭からかぶ り、身体からだ までの怪我けが はなかったが、丁度ちようど 旧暦四月の頃で一枚のあわせ をズダ/\にした事がある。

    福澤諭吉

  9. ^ それまで、中津藩邸に近い木挽町にあった佐久間象山の塾には多くの中津藩士が通っており、象山は中津藩のために西洋式大砲二門を鋳造し上総国の姉ヶ崎で試射したりしている。象山に学んだ岡見彦三清熙は江戸藩邸内に蘭学塾を設けていた
  10. ^ 中崎 (1996, pp. 56-63)
  11. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店〈岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「初めてアメリカに渡る」の章にある「日本国人の大胆」(111頁)を参照。近代デジタルライブラリー収録『福翁自伝』の「始めて亜米利加に渡る」の章を参照。福翁自傳 - 198 ページを参照。

    併(しか)しこの航海に就(つい)ては大(おおい)に日本の為(た)めに誇ることがある、と云(い)うのは抑(そ)も日本の人が始めて蒸気船なるものを見たのは嘉永六年、航海を学び始めたのは安政二年の事で、安政二年に長崎に於(おい)て和蘭(オランダ)人から伝習したのが抑(そもそ)も事の始まりで、その業(ぎよう)成(なつ)て外国に船を乗出(のりだ)そうと云うことを決したのは安政六年の冬、即(すなわ)ち目に蒸気船を見てから足掛(あしか)け七年目、航海術の伝習を始めてから五年目にして、夫(そ)れで万延元年の正月には出帆しようと云うその時、少しも他人の手を藉(か)らずに出掛けて行こうと決断したその勇気と云いその伎倆(ぎりよう)と云い、是(こ)れだけは日本国の名誉として、世界に誇るに足るべき事実だろうと思う。

  12. ^ 福翁自伝』に航海中の海舟の様子を揶揄するような記述が見られる。富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「初めてアメリカに渡る」の章にある「米国人の歓迎祝砲」(112頁)を参照。福翁自傳 - 200 ページを参照。

    勝麟太郎(かつりんたろう)と云う人は艦長木村の次に居て指揮官であるが、至極(しごく)船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかった

  13. ^ 「福澤諭吉の新たな写真発見 オランダで」話題!‐話のタネニュース:イザ!
  14. ^ 諭吉は『福澤全集緒言』において以下のように述べている:

    たと えば英語えいご のスチームを従来じゅうらい 蒸氣じょうき やく するのれい なりしかども、何か一文字にちゞ めることはかな うまじきやと思付おもいつ き、 れと目的はなけれども、蔵書ぞうしょ 康熙字典こうきじてん 持出もちだ してたゞ 無暗むやみ 火扁ひへん 水扁みずへん などの部を捜索そうさく する中に、 う字を見て、その ちゅう に水の なりとあり、 れは面白しとひと 首肯しゅこう して始めて の字をもち いたり。ただ 西洋事情せいようじじょう の口絵に蒸滊済人じょうきさいじん 云々うんぬん しる したるは、対句ついく じょう の一字をくわ えたることなり。今日こんにち りては なか 滊車きしゃ と云い滊船きせん 問屋どいや と云い、誠に普通ふつう の言葉なれども、その もと たず ぬれば三十二年前、余が盲捜めくらさが しにさが てたるものを即席そくせき 頓智とんち まか せてまん 版本はんぽん のぼ せたるこそ の字の発端ほったん なれ。又当時とうじ コピライト意義いぎ ふく みたる文字もなし。官許かんきょ えば や似寄りたれども、その じつ 政府せいふ 忌諱きい れずとの しめ すのみにして、江戸の慣例かんれい れば、臭草紙くさぞうし の類は町年寄まちどしより 権限内けんげんない にて取捌とりさば き、それ 以上、学者の著述ちょじつ 聖堂せいどう 、又飜訳書ほんやくしょ なれば蕃書調所ばんしょしらべしょ と称する政府せいふ 洋学校ようがっこう にて許可きょか するの法にして、著書ちょしょ 発行はっこう 名誉めいよ 権利けんり 著者ちょしゃ 専有せんゆう すと うがごと 私有権しゆうけん 意味いみ を知る者なし。よっ て余はその コピライトの横文字よこもじ 直訳ちょくやく して版権はんけん 新文字しんもじ 製造せいぞう したり。其他そのた 吾々われわれ 友人間ゆうじんかん にて作りたる新字もはなは だ少なからず。 わす れたり、 学友がくゆう 横文おうぶん にあるドルラル記号きごう $を見てたて 似寄により りの弗の字を用い、ドルラルと ませたるが如き面白おもしろ 思付おもいつき にして、これ はん し余がポストヲフヒス飛脚場ひきゃくば ポステージ飛脚印ひきゃくじるし と訳して郵便ゆうびん ゆう の字に心付こゝろづ かず、ブックキーピング帳合ちょうあい と訳して簿記ぼき の字を用いざりしは、あま ぞく ぎたる故か今日こんにち に行わるゝを ず。

    福澤諭吉、『福澤全集緒言』22-24頁

  15. ^ 勝部真長 PHP研究所 ISBN 4569771882 『勝海舟』 (終章)P333
  16. ^ 福澤:元治元年/1846~外国奉行支配調訳次席翻訳御用
  17. ^ 岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近代編 1] 』 原書房 2013年 14ページ
  18. ^ 上田貞次郎の伝記
  19. ^ 慶應義塾(2004)、214-227頁
  20. ^ 慶應義塾(2004)、227頁
  21. ^ 森川1990 [要ページ番号]
  22. ^ 西川&山内(2002)、406頁
  23. ^ 三田評論 2010年11月号「天現寺界隈、そして幼稚舎」より
  24. ^ 小泉(1966) pp.180-182
  25. ^ 小泉(1966) p.183
  26. ^ 小泉(1966) pp.183f
  27. ^ 小泉(1966) p.184
  28. ^ 小泉(1966) p.185
  29. ^ a b c d 小泉(1966) p.181
  30. ^ 小泉(1966) p.186
  31. ^ 小泉(1966) p.187
  32. ^ a b 小泉(1966) p.180
  33. ^ 小泉(1966) pp.189f
  34. ^ 小泉(1966) pp.190f
  35. ^ 小泉(1966) pp.191f
  36. ^ a b 小泉(1966) p.196
  37. ^ 小泉(1966) p.195
  38. ^ 小泉(1966) pp.195f
  39. ^ a b 小泉(1966) p.197
  40. ^ 小泉(1966) pp.3,197
  41. ^ 「應義塾豆百科」No.39 慶應義塾維持法案、慶應義塾。
  42. ^ 慶應義塾豆百科 No.60 「独立自尊」(慶應義塾)
  43. ^ 「世紀送迎会」(慶應義塾ステンドグラス 2000年1月1日/塾 No.223)
  44. ^ 慶應義塾豆百科 No.61 「独立自尊迎新世紀」(慶應義塾)
  45. ^ 福沢諭吉逝く新聞集成明治編年史第11卷、林泉社、1936-1940
  46. ^ 決議文の内容は次の通り。「衆議院ハ夙ニ開国ノ説ヲ唱ヘ力ヲ教育ニ致シタル福澤諭吉君ノ訃音ニ接シ茲ニ哀悼ノ意ヲ表ス」(片岡健吉ほか6名提出)。井上角五郎が提出者を代表して、説明のため登壇した。明治34年2月8日付「官報」号外、衆議院議事録(「第15回帝国議会・衆議院議事録・明治33.12.25 - 明治34.3.24」、国立公文書館(ref:A07050006700)。)。
  47. ^ 「慶應義塾豆百科」No.62 塾葬」、慶應義塾
  48. ^ 小泉(1966) pp.126-127
  49. ^ 小泉(1966) pp.193f
  50. ^ 小泉(1966) pp.192-195
  51. ^ 小泉(1966) p.194
  52. ^ 小泉(1966) pp.194f
  53. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「老余の半生」の章にある「行路変化多し」(316頁)を参照。近代デジタルライブラリー収録の『福翁自伝』では547 - 548頁を参照。福翁自傳 - 565 ページを参照。
  54. ^ 小泉(1966) p.189
  55. ^ 小泉(1966) pp.90f
  56. ^ 丸山眞男「文明論之概略」を読む(中)第八講
  57. ^ 杉原(1995) pp.40f
  58. ^ 小泉(1966) pp.153f
  59. ^ 小泉(1966) pp.32,157,172-173
  60. ^ 小泉(1966) p.161
  61. ^ 小泉(1966) p.173
  62. ^ 青空文庫の『中津留別の書
  63. ^ 杉原(1995) pp.36,40
  64. ^ 松山棟庵「故福澤翁」(慶應義塾学報 臨時増刊39号『福澤先生哀悼録』みすず書房、1987年3月、ISBN 4-622-02671-6、193-194頁)伝記作家石河幹明の策略―その2― 2.0.3項参照。
  65. ^ 『医者のみた福澤諭吉』
  66. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店〈岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「再度米国行」の章にある「刀剣を売り払う」(162頁)を参照。福翁自傳 - 285 ページを参照。
  67. ^ 次郎長もこの石碑が建てられた際に来ているが、意味がわからない子分のために漢文の内容を分かりやすく教えている。自己犠牲というアウトローが尊ぶ精神構造と似ていたせいか諭吉と教養面で隔絶した文盲の子分たちは大いに納得していたという。
  68. ^ 1878年(明治11年)4月11日の日記に記載。
  69. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店〈岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「一身一家経済の由来」の章にある「仮初にも愚痴を云わず」(270-271頁)を参照。福翁自傳 - 482 ページを参照。
  70. ^ 北康利 『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』 講談社、2007年3月。ISBN 978-4-06-213884-0(226頁)
  71. ^ 『福澤諭吉』あとがき全文 平山洋
  72. ^ 横井小楠とその弟子たち』 評論社
  73. ^ a b 杉原(1995) pp.237-239
  74. ^ 杉原(1995) p.237
  75. ^ 丸山眞男「文明論之概略」を読む(上)第一講
  76. ^ 『長州再征に関する建白書』
  77. ^ 小泉(1966) p.25
  78. ^ 小泉(1966) p.26
  79. ^ 丸山眞男「文明論之概略」を読む(上)第一講
  80. ^ 『民情一新』
  81. ^ 丸山眞男「文明論之概略」を読む(上)第十一講
  82. ^ 丸山眞男「文明論之概略」を読む(中)第十一講
  83. ^ 福翁自傳-349 ページ
  84. ^ 会田倉吉 人物叢書 日本歴史学会編 第198項
  85. ^ 慶應義塾豆百科
  86. ^ 江川太郎左衛門(1)
  87. ^ 日本で初めて新聞に 天気予報 を掲載
  88. ^ 福澤先生の大病が絡んだ製氷器事始め
  89. ^ 小泉信三 『福沢諭吉』 岩波新書
  90. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「緒方の塾風」の章にある「不潔に頓着せず」(65頁)を参照。福翁自傳 - 118 ページを参照。
  91. ^ 時事新報史 第15回:朝鮮問題(1) 壬午事変の出兵論 都倉武之 慶應義塾大学出版会
  92. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「大阪修行」の章にある「書生の生活酒の悪癖」(57頁)を参照。福翁自傳 - 103 ページを参照。
  93. ^ 福翁自伝』の「禁酒から煙草」参照。
  94. ^ 北康利『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』P156、講談社、2007年3月。ISBN 978-4-06-213884-0
  95. ^ 富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「幼少の時」の章にある「稲荷様の神体を見る」(23頁)を参照。福翁自傳 - 44 ページ を参照。
  96. ^ 北康利『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』(7-9頁)、講談社、2007年3月。ISBN 978-4-06-213884-0
  97. ^ ただし、塾内の掲示物等では教員も君付けだが、塾生や塾員が教員に向かって面と向かって君付けで呼びかけるわけではない。これは、義塾草創期は上級学生が教師役となって下級生を教授していたことの名残といわれている。
  98. ^ 時事新報史 第4回:創刊当初の評判 慶應義塾出版会
  99. ^ 服部之総論文「東洋における日本の位置」、遠山茂樹論文「日清戦争と福沢諭吉」(1951)(遠山茂樹著作集第5巻所収、岩波書店,1992
  100. ^ 東谷暁インタビュー 平山洋
  101. ^ 2001年(平成13年)4月21日付「朝日新聞」に掲載
  102. ^ 同年5月12日付同紙)
  103. ^ 平山洋『福沢諭吉の真実』文藝春秋〈文春新書394〉、2004年、ISBN 4-16-660394-9 なお、同著『アジア独立論者福沢諭吉』(2012、ミネルヴァ書房)には、『福沢諭吉の真実』に収められなかった社説判定の方法論についての詳しい記述がある。
  104. ^ 「歴史とテクスト 西鶴から諭吉まで」光芒社、2001年
  105. ^ 『福沢諭吉の真実』。なお、平山は「福沢署名著作の原型について」(2015)において、福沢が後に単行本化した長編社説の原型社説を石河が全集に入れていないことを指摘し、石河は故意に福沢直筆社説を全集から排除したとも主張している。
  106. ^ 東谷暁インタビュー 平山洋また都倉武之『時事新報』論説をめぐって(1) 〜論説執筆者認定論争〜
  107. ^ 「歴史とテクスト 西鶴から諭吉まで」光芒社、2001年
  108. ^ 都倉武之『時事新報』論説をめぐって(1) 〜論説執筆者認定論争〜
  109. ^ 平山洋、2004、『福沢諭吉の真実』、文藝春秋〈文春新書394〉
  110. ^ 朝日新聞2000年3月12日、1位・坂本龍馬、2位・徳川家康、3位・織田信長、4位・田中角栄、5位・吉田茂、6位・豊臣秀吉、7位・福澤諭吉、8位・西郷隆盛、9位・市川房枝、10位・伊藤博文
  111. ^ 李登輝元総統が「学問のすゝめと日本文化の特徴」をテーマに講演 産経新聞2008年9月23日
  112. ^ ソウル大学校国際問題研究所の姜相圭による
  113. ^ a b 〈記憶をつくるもの〉独り歩きする「脱亜論」 朝日新聞
  114. ^ 1960年代にすでに朝鮮社会科学院歴史研究所が邦題『金玉均の研究』を出版。
  115. ^ 歴史と人物』4巻3号、1974年3月。
  116. ^ 姜『朝鮮の攘夷と開化 近代朝鮮にとっての日本』平凡社、1987年。ISBN 4-582-82251-7
  117. ^ その典型的な例を挙げれば、2001年中央日報、各国貨幣に扱われた人物について述べたコラム【噴水台】ユーロ貨の橋の次のような文言:「日本の1万円札には19世紀末、韓国を征伐するよう主張した福沢諭吉の肖像が入っている。日本では開化思想家として知られているが、韓国の立場からするとけしからん人物だ」
  118. ^ 韓桂玉『「征韓論」の系譜』三一書房、1996年。ISBN 4-380-96291-1
  119. ^ 総連系の学者で金玉均の研究家
  120. ^ 琴秉洞著『日本人の朝鮮観 その光と影』明石書店、2006年。ISBN 4-7503-2415-9
  121. ^ 杵淵『福沢諭吉と朝鮮 時事新報社説を中心に』彩流社、1997年。ISBN 4-88202-560-4
  122. ^ 韓国における福沢諭吉: 一九九〇年代における福沢諭吉の研究状況を中心に 林, 宗元(Lim, Jong-won)韓国関東大学校教授 慶應義塾大学学術情報リポジトリ
  123. ^ 中央日報、2002年【噴水台】ブッシュと福沢においては、「多様な翻訳・著述を通じて西洋学術・科学用語を日本語に移すことによって、日本はもちろん韓国・中国にまで大きな影響を及ぼした」という率直な評価が述べられている。
  124. ^ Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan
  125. ^ 【その時の今日】福沢諭吉…侵略戦争正当化した日本右翼の元祖 中央日報 2009.08.12
  126. ^ 「日本の『嫌韓流』は警戒心理・劣等意識の発露」NYT紙 中央日報 2005.11.20
  127. ^ 井上角五朗と『漢城旬報』『漢城周報』 : ハングル採用問題を中心に筑波大学 稲葉継雄
  128. ^ 『聞き書き・福澤諭吉の思い出: 長女・里が語った、父の一面 』P.10~P.11,P.114~P.147 ( 中村仙一郎 中村文夫 著 / 近代文芸社 刊, 2006)
  129. ^ 慶應義塾 創立150年記念 未来をひらく 福沢諭吉展






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