Memories Of Blue リリース

Memories Of Blue

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 01:56 UTC 版)

リリース

1993年1月7日東芝EMIのイーストワールドレーベルよりコンパクトディスクカセットテープの2形態でリリースされた。カセットテープ版では、ドルビーHX PROと東芝独自のXDR録音であるため前後に確認音(3秒ほど流れる)も録音されていた。

2003年7月21日にはデジタルリマスターおよび紙ジャケット仕様で、コピーコントロールCDにてリリースされた[8]

2020年7月21日には全作品のサブスクリプションサービス解禁に伴い、デジタル・リマスターされた音源が配信された[9]

プロモーション

本作リリース前のクリスマスの時期に渋谷駅構内や渋谷スクランブル交差点の巨大ボード、ファッションビルのウォールペインティングなどに「KISS ME」のジャケット写真が掲示されるプロモーションが行われた[10]。このプロモーション方法は過去に例がなく、世界初の試みとなった[10]

本作収録曲の内、「KISS ME」のみPVが制作され、同年4月28日にリリースされたPV集『CAPTURED CLIPS』に収録された。本作に関するプロモーションは全て氷室自身がスタッフにCMとのタイアップなども含めて指示を出し、それらが全て上手く行った結果成功に繋がったと氷室は述べている[4]

ツアー

本作を受けてのツアーは「TOUR 1993 "L' EGOISTE"」と題し、1993年1月11日横浜アリーナを皮切りに、39都市全51公演を敢行[11]、約20万人を動員した[10]。ツアーファイナルには国立代々木競技場第一体育館での3日間連続公演を行った[11][10]

本ツアーにおける1月19日大阪城ホール公演の際、風邪による体調不良のため満足なステージを披露できなかった氷室は公演中にその会場の観客を別の日に無料で招待すると発言、急遽「やりなおしライブ」が開催される事が決定した[4]。しかし近郊での会場が確保できなかったため、5月12日に国立代々木第一体育館での振替公演が行われる事となった。なお、当日会場に行くことができなかった観客にはバックステージパスが送られた。

この件に関して氷室は後年、「プロとしてあってはならない姿」として、周囲のスタッフは美談のように語るが自身にとっては恥部であり、「自分を戒めなくてはならないひとつのエピソード」と認識していると述べている[4]。コンディションの悪化は自身の責任であり、チケットを販売しておきながら振替公演に踏み切った事は「エンタテインメント・ビジネスの風上にも置けない、自己満足というか、若気の至り」と述懐した上で「非常に恥ずかしい思い出」であると述べている[4]

批評

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
CDジャーナル肯定的[12][13]

音楽情報サイト『CDジャーナル』では、作詞をほぼ全曲松井五郎が担当している事に触れた他、歌謡ロックとして安定しているとしつつも「以前あったギラつくあざとさが、いざ消えてみると妙にさびしい」と指摘したが、「WILL」がサザン・ロック調である事を「予想外にいい」と称賛し、同路線での後の展開を促した他[12]、「ジャパニーズ・ロックの代表作と言える名盤」と絶賛した[13]


  1. ^ 氷室京介 -OVER SOUL MATRIX TOUR1991”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月4日閲覧。
  2. ^ a b ぴあMOOK 2013, p. 101- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
  3. ^ a b ぴあMOOK 2013, p. 102- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
  4. ^ a b c d e f g ぴあMOOK 2013, p. 21- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
  5. ^ a b c d ぴあMOOK 2013, p. 19- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
  6. ^ 田家秀樹 (2020年12月1日). “対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 6. 2021年1月5日閲覧。
  7. ^ a b 田家秀樹 (2020年12月1日). “対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 7. 2021年1月5日閲覧。
  8. ^ “氷室京介15周年に復活シングル!さらに8タイトル紙ジャケ再発!”. HMV&BOOKS Online. (2003年5月13日). https://www.hmv.co.jp/news/article/305120048/ 2021年3月7日閲覧。 
  9. ^ “今年60歳の氷室京介サブスク解禁、アルバムリリースに向けて楽曲制作”. 音楽ナタリー. (2020年7月21日). https://natalie.mu/music/news/388565 2021年3月7日閲覧。 
  10. ^ a b c d ぴあMOOK 2013, p. 103- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
  11. ^ a b 氷室京介 -TOUR 1993 "L'EGOISTE"”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月5日閲覧。
  12. ^ a b 氷室京介 / メモリーズ・オブ・ブルー [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年1月5日閲覧。
  13. ^ a b 氷室京介 / メモリーズ・オブ・ブルー [紙ジャケット仕様] [CCCD] [限定][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年1月5日閲覧。






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