4月9日の悲劇 反応

4月9日の悲劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 20:16 UTC 版)

反応

ソビエト連邦政府は4月10日、デモ参加者が社会不安を引き起こし、人民の安全に危険を及ぼしたとして、デモ参加者を非難する声明を発表した。同日、トビリシをはじめとするジョージア全土はソビエト連邦の弾圧に抗議してストライキを開始し、40日間の喪に服すことが宣言された。人々は事件現場に大量の花を手向けた。非常事態宣言が発令されたが、デモ活動は継続された。

グルジアSSR政府首脳部はこの事件の責任を取って辞任。ソビエト連邦政府は、最初に攻撃を始めたのはデモ参加者であり、現場の兵士たちがデモ参加者を撃退しなければならなかったと主張した。第1回ソビエト連邦人民代議員大会(1989年5月–6月)でミハイル・ゴルバチョフは全ての責任を否定し、軍に全責任を転嫁した。その後、自由主義的なメディアによる暴露報道と、「親ペレストロイカ」の立場にあったアナトリー・サプチャーク副議長が1989年12月の第2回大会で議会調査委員会の結果を報告したことにより、事件に関与したソビエト連邦の強硬派とソビエト連邦軍の指導部は混乱に陥った。

事件後の未来

ジョージア国会議事堂の屋外に建てられた記念碑

4月9日の悲劇は、ソビエト連邦の権力に対する反対運動を過激化させた。事件から数か月後の1989年11月17日–18日に開催されたグルジアSSR最高会議の会期では、ソビエト・ロシアによる1921年のグルジア民主共和国併合が公式に非難された。

4月9日の事件はまた、いわゆる「トビリシ症候群」を引き起こした。この症候群は軍の将校や兵士に発生し、より高い権威者に明確な責任がある証跡が確保されなくば、戦術的な決定を下したり、あまつさえ命令に従うことすら忌避することを特徴とするものであった。これはソビエト連邦の指導部がトビリシで大通りを一掃せよという命じたことに責任を取ろうとしないこと、そして事件の調査報告書とエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣が軍全般を批判したことから生じたものであった。「トビリシ症候群」はリトアニアSSRヴィリニュスでの血の日曜日事件アゼルバイジャンSSRバクーでの黒い一月事件の後も広がり続け、1991年8月の暴動の際には兵士たちがデモ活動の阻止を拒否する一因にもなった[13]

1991年3月31日、ソビエト連邦からの独立の是非を問う住民投票が行われ、ジョージアの人々は圧倒的な賛成票を投じた。投票率は90.5パーセントで、約99パーセントが独立を支持した。トビリシの悲劇から2年後の1991年4月9日、グルジア共和国最高会議はジョージアの主権と、ソビエト連邦からの独立を宣言した。

2004年11月23日、ルスタヴェリ大通りの弾圧が行われた場所に、悲劇の犠牲者を追悼する記念碑が建立された。


  1. ^ a b c d e f ЗАКЛЮЧЕНИЕ Комиссии Съезда народных депутатов СССР по расследованию событий, имевших место в г. Тбилиси 9 апреля 1989 года”. sobchak.org. 2019年4月9日閲覧。
  2. ^ Военная библиотека Федоровых” (ロシア語). Военная библиотека Федоровых. 2019年4月9日閲覧。
  3. ^ a b New Nations Rising: The Fall of the Soviets and the Challenge of Independence, Nadia Diuk, Adrian Karatnycky
  4. ^ Viktor Suvorov Spetsnaz, 1987, Hamish Hamilton Ltd, ISBN 0-241-11961-8
  5. ^ Documentary Film - The April 9, 1989 Tragedy - YouTube
  6. ^ a b Nationalist Violence and the State: Political Authority and Contentious Repertoires in the Former USSR, Mark R. Beissinger Comparative Politics, Vol. 30, No. 4 (Jul., 1998), pp. 26-27.
  7. ^ Defending the Border: Identity, Religion, And Modernity in the Republic of Georgia (Culture and Society After Socialism), Mathijs Pelkmans pp. 127-39
  8. ^ a b Georgia: In the Mountains of Poetry, Peter Nasmyth, p 18
  9. ^ Lehrke, Jesse Paul. The Transition to National Armies in the Former Soviet Republics, 1988-2005.” Oxfordshire, UK: Routledge (2013), Chapter 2. (See: http://www.routledge.com/books/details/9780415688369/)
  10. ^ Journal of Conflict Studies”. journals.lib.unb.ca. 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月20日閲覧。
  11. ^ Associated Press, Toronto Star, Apr 13, 1989
  12. ^ “Gorbachev Sends Aide to Calm Soviet Georgia” (英語). Los Angeles Times. (1989年4月11日). ISSN 0458-3035. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1989-04-11-mn-1600-story.html 2019年4月20日閲覧。 
  13. ^ Lehrke, Jesse Paul. The Transition to National Armies in the Former Soviet Republics, 1988-2005.” Oxfordshire, UK: Routledge (2013), Chapter 2 and 3.





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