1987年日本グランプリ (4輪) 記録

1987年日本グランプリ (4輪)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/19 04:47 UTC 版)

記録

  • ラップリーダー:
    • ゲルハルト・ベルガー (1-24/26-51周目)
    • アイルトン・セナ (25周目)
  • F1決勝レースデビュー:
    • ロベルト・モレノ (1982年にF1レースに参加しているが予選落ちしているため、記録上は本レースがF1デビュー)

エピソード

  • 決勝日には、鈴鹿サーキットにおける過去最高の112,000人の観客が詰めかけた。
  • 通常F1開催時には、ジュニアフォーミュラF3などのサポートレースが行われるが、初開催ということもありサポートレースは行われなかった。
  • 他のグランプリレースの場合、サーキット内の看板はFOCAと契約した企業のもののみが掲出されることとなっているが、特例として普段からサーキットに掲出されている看板の内、一部の掲出が許された。これは、長年に亘り看板を出してもらっているスポンサーへの配慮から、鈴鹿サーキットが粘り強く交渉した結果であった。
  • テレビ中継を行うフジテレビが冠スポンサーとなり、2009年まで冠スポンサーを務め、2013年現在テレビ中継を継続している。
  • 特別来賓として三笠宮宜仁親王が招かれ観戦した。
  • 初開催にもかかわらず、すべてのイベントが滞りなく行われたことから、レース終了後に当時FIAジャン=マリー・バレストル会長やFOCAのバーニー・エクレストンなどから称賛を受けることとなった。
  • 予選初日の昼、レイトンハウス・マーチが記者会見を開き、翌年から2カー体制に規模拡大することと、国際F3000のトップランカーであるマウリシオ・グージェルミンのチーム加入を発表した[4]
  • 少年時代の佐藤琢磨が家族と共に観戦に訪れていた[5]。レーサーを志すきっかけになった現地観戦として知られる。

関連項目


  1. ^ 日本グランプリ 最速男の不在がレースの流れを激変させた Racing On 1988年1月号 63頁 武集書房 1988年1月1日発行
  2. ^ Racing On 1988年6月1日号 No.027 武集書房 1988年6月1日発行
  3. ^ GPX 1987年日本GP号 8頁 山海堂 1987年11月15日発行
  4. ^ レイトンハウス・マーチにグージェルミン正式加入 GPX 1987年日本GP号 36頁 山海堂 1987年11月15日発行
  5. ^ 1987年の日本グランプリを父(右)と観戦した佐藤琢磨(中央)。その後の競技人生を大きく左右したサンケイスポーツ 2017年5月30日


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