1977年日本グランプリ (4輪)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/04 23:59 UTC 版)
決勝
展開
スタート
ポールシッターのアンドレッティはスタートシグナルのタイミングを見誤り、加速が鈍って大きく後退した。予選2位のハントがトップに立ち、以下ジョディ・シェクター(ウルフ)、ヨッヘン・マス(マクラーレン)、クレイ・レガッツォーニ(エンサイン)、ジョン・ワトソン(ブラバム)と続いた。8位に落ちたアンドレッティは2周目の100Rでジャック・ラフィット(リジェ)と接触し、コースアウトしてクラッシュ。ちぎれて転がったタイヤを避けようとしたハンス・ビンダー(サーティース)と高原(コジマ)が接触し、ともにリタイアとなった。ハントは後続を引き離し、早くも独走態勢に持ち込んだ。
観客死傷事故発生
6周目、14位のヴィルヌーブ(フェラーリ)が1コーナー入口のブレーキングでロニー・ピーターソン(ティレル)のインを突いたが、右後輪に追突して宙に舞った。フェラーリのマシンはティレルを飛び越えてノーズから逆さまに落下し、側転しながらエスケープゾーンの奥に突っ込んだ。ヴィルヌーブは奇跡的に無傷で脱出したが、立ち入り禁止区域で観戦していた観客1名と警備員1名が死亡し[5][6]、7名が重軽傷を負う[5][6]という惨事となった。F1の観客死亡事故は1975年第4戦スペインGP以来1年半ぶり。日本の自動車レース界では初めての出来事だった。
ハント最後の勝利
独走するハントの後方では2位以下が互いに順位を入替え、見応えのある攻防を展開した。中盤まで2位、3位を走行していたマスとワトソンはマシントラブルで相次いで消え、シェクターはタイヤトラブルでピットイン。弱小エンサインに乗るレガッツォーニが2位に浮上するが、健闘及ばず44周目にエンジントラブルで脱落した。後方から追い上げたラフィットが2位に浮上するも、最終ラップに燃料切れでストップ。これでカルロス・ロイテマン(フェラーリ)が2位、パトリック・デパイユ(ティレル)が3位に繰り上がった。ハントは全周回ラップリーダーのまま、2位以下を1分近く離して優勝した。ハントにとってはこれがF1最後の勝利となった。
ピットでマシンから降りたハントはやおら私服に着替え、「今夜のフライトで帰国する。渋滞にはまりたくない」と言い残して帰ってしまった。2位のロイテマンも同じ行動をとったため、表彰台には3位のドゥパイエとフェラーリのメカニックしか上がらないという締まらない幕引きとなった。
日本勢最高位は高橋(ティレル)の9位。星野(コジマ)はタイヤのマッチングに苦しみ、2周遅れの11位に終わった。
結果
順位 | No | ドライバー | コンストラクタ | 周回 | タイム/リタイヤ | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ジェームス・ハント | マクラーレン・フォード | 73 | 1:31'51.68 | 2 | 9 |
2 | 12 | カルロス・ロイテマン | フェラーリ | 73 | 1:32'54.13 | 7 | 6 |
3 | 4 | パトリック・ドゥパイエ | ティレル・フォード | 73 | 1:32'58.07 | 15 | 4 |
4 | 17 | アラン・ジョーンズ | シャドウ・フォード | 73 | 1:32'58.29 | 12 | 3 |
5 | 26 | ジャック・ラフィット | リジェ・マトラ | 72 | 燃料切れ | 5 | 2 |
6 | 16 | リカルド・パトレーゼ | シャドウ・フォード | 72 | 1:32'00.52 | 13 | 1 |
7 | 8 | ハンス=ヨアヒム・スタック | ブラバム・アルファロメオ | 72 | 1:32'38.13 | 4 | |
8 | 19 | ヴィットリオ・ブランビラ | サーティース・フォード | 71 | 1:31'57.61 | 9 | |
9 | 50 | 高橋国光 | ティレル・フォード | 71 | 1:32'19.13 | 22 | |
10 | 20 | ジョディ・シェクター | ウルフ・フォード | 71 | 1:32'21.10 | 6 | |
11 | 52 | 星野一義 | コジマ・フォード | 71 | 1:32'58.08 | 11 | |
12 | 9 | アレックス・リベイロ | マーチ・フォード | 69 | 1:33'11.23 | 23 | |
Ret | 6 | グンナー・ニルソン | ロータス・フォード | 63 | トランスミッション | 14 | |
Ret | 22 | クレイ・レガッツォーニ | エンサイン・フォード | 43 | エンジン | 10 | |
Ret | 7 | ジョン・ワトソン | ブラバム・アルファロメオ | 29 | ギアボックス | 3 | |
Ret | 2 | ヨッヘン・マス | マクラーレン・フォード | 28 | エンジン | 8 | |
Ret | 23 | パトリック・タンベイ | エンサイン・フォード | 14 | エンジン | 16 | |
Ret | 3 | ロニー・ピーターソン | ティレル・フォード | 5 | 接触 | 18 | |
Ret | 11 | ジル・ヴィルヌーヴ | フェラーリ | 5 | 接触 | 20 | |
Ret | 27 | ジャン=ピエール・ジャリエ | リジェ・マトラ | 3 | エンジン | 17 | |
Ret | 5 | マリオ・アンドレッティ | ロータス・フォード | 1 | 接触 | 1 | |
Ret | 21 | ハンス・ビンダー | サーティース・フォード | 1 | 接触 | 21 | |
Ret | 51 | 高原敬武 | コジマ・フォード | 1 | 接触 | 19 |
- ^ a b c GP企画センター編 『サーキットの夢と栄光 日本の自動車レース史』グランプリ出版、1989年、182-183頁頁。ISBN 4-906189-80-6。
- ^ 事務局長付として全権委任された森脇基恭がF1CA会長バーニー・エクレストンと契約交渉を行った。
- ^ デビュー戦は1977年イギリスGP、マクラーレンの第3ドライバーとしてスポット参戦。
- ^ 「1977日本グランプリ RACE REPORT」『F1速報PLUS』第9号、イデア、2007年、45頁。
- ^ a b “「F1」観戦ついに死傷者 車体飛散、頭上から直撃”. 毎日新聞. (1977年10月24日付朝刊14版21面)
- ^ a b “飛び散る車体観客直撃 時速300キロ逃げられず”. 朝日新聞. (1977年10月24日付朝刊13版23面)
- ^ 「1977日本グランプリ RACE REPORT」『F1速報PLUS』第9号、イデア、2007年、47頁。
- ^ Gerald Donaldson 著、豊岡真美・坂野なるたか・森岡成憲 訳 『ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説』ソニー・マガジンズ、1991年、130頁頁。ISBN 4-7897-0678-8。
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