黒田古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:07 UTC 版)
概要
古墳名 | 形状 | 規模 | 築造時期 | 史跡 |
---|---|---|---|---|
黒田古墳 | 前方後円墳 | 52m | 3c前半-中葉 | 京都府指定史跡 |
中畷古墳 | 前方後方墳 | 75m | 4c前半 | なし |
垣内古墳 | 前方後円墳 | 82m | 4c後半 | (消滅) |
園部盆地西部、市街地から北西2キロメートルの丘陵上に位置する古墳である[3]。1990年(平成2年)に発掘調査が実施されている[3][2]。
墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。葺石・埴輪は認められていない[3]。埋葬施設は2基からなり、第1主体部からは多数の副葬品が発見されている[3]。出土品の中で特に銅鏡は中国製の双頭龍文鏡で、製作年代が2世紀(後漢中期)に位置づけられ、初期作例の鏡の出土は少ないために鏡研究上において貴重な資料とされる[4]。
築造時期は、古墳時代出現期[3](または弥生時代終末期の築造[2])と推定される。口丹波では中畷古墳(南丹市園部町上木崎町)や垣内古墳(南丹市園部町内林町)が知られるが、本古墳はそれらに先行する口丹波最古の首長墓に位置づけられる[3]。
古墳域は1998年(平成10年)に京都府指定史跡に指定され、出土品も同年に京都府指定有形文化財に指定されている[1]。
遺跡歴
墳丘
墳丘の規模は次の通り[5]。
- 墳丘長:52メートル
- 後円部 - 楕円形。
- 南北長径:32メートル
- 東西長径:22メートル
- 前方部
- 幅:14メートル
- 高さ:1メートル
墳形は、後円部が楕円形で、前方部がバチ状に開くという古墳時代出現期に特徴的な形状である[3]。墳丘の下半分は地山の削り出しで、上半分は盛り土で構築されている[3]。
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