長遠寺 (大田区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 長遠寺 (大田区)の意味・解説 

長遠寺 (大田区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/10 00:52 UTC 版)

長遠寺
所在地 東京都大田区南馬込5-2-10 [1]
位置 北緯35度35分27.8秒 東経139度42分34.8秒 / 北緯35.591056度 東経139.709667度 / 35.591056; 139.709667座標: 北緯35度35分27.8秒 東経139度42分34.8秒 / 北緯35.591056度 東経139.709667度 / 35.591056; 139.709667
山号 海岳山[2]
院号 大乗院[2]
宗派 真言宗智山派[1]
本尊 不動明王
創建年 天仁元年(1108年)[1]
開山 宥尊[注釈 1]
中興年 元禄年間(1688年1704年
中興 快慶[2]
別称 馬込不動[1]
札所等 御府内八十八ヶ所霊場8番札所、玉川八十八ヶ所霊場72番札所
法人番号 1010805000184
テンプレートを表示

長遠寺(ちょうおんじ)は、東京都大田区にある真言宗智山派寺院

概要

1108年天仁元年)、宥尊によって開山された。これまでは馬込村の別の場所に位置していたが、1502年文亀2年)に現在地に移転した[1]

元禄年間(1688年1704年)、快慶の代になって伽藍が整備され「檀林寺格」を得るなど寺運興隆したため、彼を中興者としている[3]

1875年(明治8年)に光雲寺を合併している。光雲寺には「鎌作観音」と呼ばれる十一面観音菩薩立像を所蔵しており、合併時に当寺に移された[3]

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』では開山は定海、宥尊は中興としている[2]

出典

  1. ^ a b c d e 新大田区百景「長遠寺」大田区役所
  2. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 馬込村.
  3. ^ a b 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年、207-208p

参考文献

関連文献

  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 鎌作観音」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、88-89頁。NDLJP:1174144/49 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  長遠寺 (大田区)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長遠寺 (大田区)」の関連用語

長遠寺 (大田区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長遠寺 (大田区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長遠寺 (大田区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS