観音菩薩
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所依経典(観音経)

観音について説かれた仏教経典は数多いが、最古かつ最も有名なのは妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、別名「観音経」である。[15]後述の三十三身普門示現もこの教典の長行に説かれている。この略本と考えられている十句観音経や、十一面観音について説かれた十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経がよく読誦される経典である。[注釈 4]
これらの経典は、普門品偈文(観音経)に、「衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ。」[注釈 5]とあるように、観音の慈悲が広く、優れた現世利益を持つことを述べている点が共通している。
普門示現
観音が世を救済するに、広く衆生の機根(性格や仏の教えを聞ける器)に応じて、種々の形体を現じる。これを観音の普門示現(ふもんじげん)という。法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれている。[注釈 6]なお、観音経とは別に、密教経典『摂無礙経』にも三十三身の記載があり、両者は細部が異なる。(下記参照)
西国三十三所観音霊場、三十三間堂などに見られる「33」という数字はここに由来する。なお「三十三観音」(後述)とは、この法華経の所説に基づき、中国及び近世の日本において信仰されるようになったものであって、法華経の中にこれら33種の観音の名称が登場するわけではない。
この普門示現の考え方から、六観音、七観音、十五尊観音、三十三観音など多様多種な別身を派生するに至った。
このため、観音像には基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、密教の教義により作られた、十一面観音、千手観音など、[16]変化(へんげ)観音と呼ばれる様々な形の像がある。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強い。そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多い[要出典]。 その元となったのが三十三応現身像と言われている。 応現身とは相手に応じて様々な姿に変わることをいう[要出典]。
『観音経』の観音三十三応現身の種類及び、対応する仏尊、三十三観音を以下に図とする。[注釈 7]
『観音経』の観音三十三身の種類 | 対応する仏尊 | 三十三観音[注釈 8] | 『摂無礙経』の観音三十三身の種類 | |
---|---|---|---|---|
1 | 仏身 | 阿弥陀如来(観自在王如来) | 青頸(しょうきょう)観音 | 仏身(ぶっしん) |
2 | 辟支仏(びゃくしぶつ)身 | 水月観音 | 辟支仏身(びゃくしぶつしん) | |
3 | 声聞(しょうもん)身 | 持経(じきょう)観音 | 声聞身(しょうもんしん) | |
4 | 梵王身 | 梵天 | 徳王観音 | 大梵王身(だいぼんおうしん) |
5 | 帝釈(たいしゃく)身 | 帝釈天 | 葉衣(ようえ)観音 | 帝釈身(たいしゃくしん) |
6 | 自在天身 | 他化自在天 | 瑠璃観音 | 自在天身(じざいてんしん) |
7 | 大自在天身 | 大自在天 | 普悲(ふひ)観音 | 大自在天身(だいじざいてんしん) |
8 | 天大将軍身 | 不明[注釈 9] | 威徳(いとく)観音 | 天大将軍身(てんだいしょうぐんしん) |
9 | 毘沙門身 | 毘沙門天 | 阿摩提(あまだい)観音 | 毘沙門身(びしゃもんしん) |
10 | 小王身[17] | 蓮臥(れんが)観音 | 小王身(しょうおうしん) | |
11 | 長者身[注釈 10] | 衆宝(しゅうほう)観音 | 長者身(ちょうじゃしん) | |
12 | 居士(こじ)身 | 六時観音 | 居士身(こじしん) | |
13 | 宰官身 | 一葉観音 | 宰官身(さいかんしん) | |
14 | 婆羅門身 | 合掌観音 | 婆羅門身(ばらもんしん) | |
15 | 比丘(びく)身 | 比丘身(びくしん) | ||
16 | 比丘尼身 | 15、16をまとめて白衣(びゃくい)観音 | 比丘尼身(びくにしん) | |
17 | 優婆塞(うばそく)身 | 優婆塞身(うばそくしん) | ||
18 | 優婆夷(うばい)身 | 優婆夷身(うばいしん) | ||
19 | 長者婦女身 | 馬郎婦(ばろうふ)観音 | 人身(じんしん) | |
20 | 居士婦女身 | 非人身(ひじんしん) | ||
21 | 宰官婦女身 | 婦女身(ふじょしん) | ||
22 | 婆羅門婦女身 | 童目天女身(どうもくてんにょしん) | ||
23 | 童男身 | 童男身(どうなんしん) | ||
24 | 童女身 | 23、24をまとめて持蓮(じれん)観音 | 童女身(どうにょしん) | |
25 | 天身 | いわゆる天龍八部衆 | 天身(てんしん) | |
26 | 竜身 | 龍身(りゅうしん) | ||
27 | 夜叉(やしゃ)身 | 25から27までをまとめて龍頭(りゅうず)観音に配当 | 夜叉身(やしゃしん) | |
28 | 乾闥婆(けんだつば)身 | 乾闥婆身(けんだつばしん) | ||
29 | 阿修羅身 | 阿修羅身(あしゅらしん) | ||
30 | 迦楼羅(かるら)身 | 迦樓羅身(かるらしん) | ||
31 | 緊那羅(きんなら)身 | 緊那羅身(きんならしん) | ||
32 | 摩睺羅伽(まごらが)身 | 摩睺羅伽身(まごらがしん) | ||
33 | 執金剛身 | 執金剛神[注釈 11] | 不二(ふに)観音 | 執金剛身(しゅうこんごうしん) |
六観音
真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音という組み合わせになっている。
なお、千手観音は経典においては千本の手を有し、それぞれの手に一眼をもつとされているが、実際に千本の手を表現することは造形上困難であるために、唐招提寺金堂像や葛井寺の乾漆千手観音坐像などわずかな例外を除いて、42本の手で「千手」を表す像が多い。観世音菩薩が千の手を得た謂われとしては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の最後に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されている。
七観音
観音が衆生教化のために変じ給える七身。真言系の六観音に天台系の不空羂索観音を加える。
十五尊観音
三十三観音(次項参照)のうち、白衣、葉衣、水月、楊柳、阿摩提、多羅、青頸、琉璃、龍頭、持経、円光、遊戯、蓮臥、瀧見、施薬の15の変化身をいう。
三十三観音
以下に列挙した三十三観音の名称は、天明3年(1783年)に刊行された絵師の土佐秀信が著した『仏像図彙』(ぶつぞうずい)という書物に所載のものである。この中には白衣(びゃくえ)観音、多羅尊観音のようにインド起源のものもあるが、中国や日本で独自に発達したものもあり、その起源は様々である。白衣観音、楊柳観音のように、禅宗系の仏画や水墨画の好画題としてしばしば描かれるものもあるが、大部分の観音は単独での造像はまれである。
三十三観音の名称
- 楊柳(ようりゅう)
- 龍頭(りゅうず)
- 持経(じきょう)
- 円光(えんこう)
- 遊戯(ゆげ)
- 白衣(びゃくえ)
- 蓮臥(れんが)
- 滝見(たきみ)
- 施薬(せやく)
- 魚籃(ぎょらん)
- 徳王(とくおう)
- 水月(すいげつ)
- 一葉(いちよう)[注釈 12]
- 青頚(しょうけい)
- 威徳(いとく)
- 延命(えんめい)
- 衆宝(しゅうほう)
- 岩戸(いわと)
- 能静(のうじょう)
- 阿耨(あのく)
- 阿摩提(あまだい)
- 葉衣(ようえ)
- 瑠璃(るり)
- 多羅尊(たらそん)
- 蛤蜊(こうり、はまぐり)
- 六時(ろくじ)
- 普悲(ふひ)
- 馬郎婦(めろうふ)[注釈 13]
- 合掌(がっしょう)
- 一如(いちにょ)
- 不二(ふに)
- 持蓮(じれん)
- 灑水(しゃすい)
スリランカにおける八示現
現在のスリランカの仏教は上座部仏教で占められているもの、かつては大乗仏教や密教が勢力を持っていた時代があり、「ナータ」(観音菩薩)や「サマン」(普賢菩薩)への信仰が存在した。15世紀のスリランカにおいて図像の作成者によって用いられた図像学についてのサンスクリット文献[注釈 14]は観音菩薩(ナータ)における以下の示現を記述している[19]。なお、これらは南インドのヒンドゥー教における「アーガマ」の伝統からの輸入である[19]。
- シヴァ・ナータ (Śivanātha)
- ブラフマー・ナータ (Brahmānātha)
- ヴィシュヌ・ナータ (Viṣṇunātha)
- ガウリ・ナータ (Gaurinātha)
- マツィエーンドラ・ナータ (Matsyendranātha)
- バドラ・ナータ (Bhadranātha)
- バウッダ・ナータ (Bauddhanātha)
- ガナ・ナータ (Gaṇanātha)
注釈
- ^ 無人島に捨てられた理由は、継母による育児放棄であるとか、誘拐犯によるものだとか、諸本により一定しない。平康頼の『宝物集』では、子供二人は生母と死別し、継母が二人の子供を殺害しようとして、海藻取りだと騙して連れ出し、無人島に置き去りにしたとしている。なお、松原泰道『般若心経入門』では、出典を南伝華厳経とする。
- ^ 『宝物集』では、子供二人の生母は阿弥陀如来の前世であり、阿弥陀三尊像の脇侍が観音・勢至なのはその因縁に依るという。
- ^ 日本の「千手観音」と「十一面観音」を一つにした尊格[要出典]。曼荼羅の研究家として知られる田中公明によると、「千手観音」の千手を描く姿は中国で描かれたのが最初で、インドにはその作例は見られないとしている。
- ^ この他、変化観音関係でよく読誦される教典として、千手観音の陀羅尼である大悲心陀羅尼や、准胝観音経などがある[要出典]。
- ^ 書き下しは平田真純『大聖歓喜天礼拝作法』待乳山本龍院、2002[要文献特定詳細情報]に依った。句読はやや改めた。
- ^ 三十三身は法華経の鳩摩羅什訳で初めて出現しており、サンスクリット原文では数が少ない。なお、三十三身を仏像として造像する例もあり、鎌倉長谷寺に十一面観音像の脇侍として作られた三十三身像が現存しており、神奈川県の重要文化財に指定されている他、東京の護国寺、塩船観音寺に作例が残る。
- ^ 三十三身の分け方は鎌田茂雄『観音経講話』[要ページ番号]及び大栗道栄『図説観音経入門』[要ページ番号]に従った。三十三観音との対応は土佐秀信『仏像図彙』[要ページ番号]より。
- ^ 三十三身の分け方は鎌田茂雄『観音経講話』[要ページ番号]及び大栗道栄『図説観音経入門』[要ページ番号]に従った。三十三観音との対応は土佐秀信『仏像図彙』[要ページ番号]より
- ^ この尊格は定説がない。大栗は帝釈天の命を受けて世間をパトロールし、賞罰を定める尊格だとするが、異説もある[要ページ番号]。
- ^ 人格者の資産家で判断が正しく世間の役に立っている人のこと[18]。
- ^ 不動明王と同じ尊格とする[18]。
- ^ 道元が感得した尊格とされる[要出典]。
- ^ 読みは「ばろうふ」とも。魚籃観音と同一説もある[要出典]。
- ^ 文献自体が書かれたのは9世紀から12世紀[19]。
- ^ 観音菩薩の心真言「アロリキャ」の「ロ」は伝統的な悉曇文字で書かれた悉曇真言本ではruまたはroであり、『文殊儀軌経』のサンスクリット本でも観音菩薩の心真言はārolikである[21]。「アロリキャ」がālolikなのかārolikなのかや、その語源・意味は学術的にも未解決の問題となっている[21]。
- ^ 本尊の聖観音像は絶対秘仏。この他千手観音像を含め複数の観音像があり、本尊と同じ形の「裏観音像」は開堂中は拝観可能。露座の聖観音坐像が台東区指定文化財。
出典
- ^ 新版 禅学大辞典 p113
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経 : 冠註』「『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五」
- ^ 坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』岩波文庫下巻[要文献特定詳細情報]の注釈[要ページ番号]。
- ^ 関根俊一 編『仏尊の事典 - 壮大なる仏教宇宙の仏たち』学習研究社〈New sight mook. Books esoterica. エソテリカ事典シリーズ 1〉1997年4月、ISBN 978-4-05-601347-4、62頁。
- ^ 『大唐西域記』巻三「中有阿縛盧枳低湿伐羅菩薩像(唐言「観自在」。合字連声、梵語如上。分文散音、即「阿縛盧枳多」訳曰「観」、「伊湿伐羅」訳曰「自在」。)」
- ^ a b 松原・三木1999 [要ページ番号]
- ^ 山中2010 p.120
- ^ Lokesh Chandra (1984). “The Origin of Avalokitesvara”. Indologica Taurinenaia (International Association of Sanskrit Studies) XIII (1985-1986): 189–190. オリジナルの2014-06-06時点におけるアーカイブ。 2016年7月31日閲覧。.
- ^ “中国の皇帝たち - 日本人と中国人を知るための教養講座”. 2023年3月9日閲覧。
- ^ 大宮司朗『仏尊の図鑑』[要文献特定詳細情報]
- ^ 植木雅俊『仏教、本当の教え』(中公新書、2011年)p.174
- ^ 植木雅俊『仏教、本当の教え』(中公新書、2011年)pp.174-181
- ^ 松原・三木1999 [要ページ番号]。松原哲明によれば一般的には女性だと誤解されており、大正期の岡本かの子等は、各宗教の神々でミスコンを行った場合、観世音菩薩はミス仏教だろうと主張しているが、れっきとした男性だと念押ししている。ただし、岡本も観音が男性であることは確かだが、女性として見たいと主張している[要ページ番号]。
- ^ 平木康平『媽祖と観音--中国母神の研究-2-』, 大阪府立大学紀要 人文・社会科学 (32), p54-55, 1984
- ^ 岩本・坂本『法華経』1976、岩波書店[要文献特定詳細情報]。長行と偈文に分かれている。なお、松原1972のように、普門品偈文のみを取り出して「観音経」という場合もある。
- ^ 東京国立博物館資料調査室長の石田尚豊の研究による[要ページ番号]。石田によれば、既に白鳳時代にかなりの密教経典が読まれていた記録があり、十一面観音や千手観音の登場する教典が招来されているという。
- ^ 観音信者の国王や大名[要出典]。鎌田茂雄はアショーカ王や楠木正成のような人物だとしている[要ページ番号]。
- ^ a b 大栗2001 [要ページ番号]
- ^ a b c Sarath Chandrajeewa. “BODHISATTVA AVALOKITESVARA FROM VEHERAGALA” (英語). Art Sri Lanka. 2012年2月21日閲覧。
- ^ 「唵 阿去引 嚧引 力 迦半音 婆嚩二合引賀引」(不空譯『觀自在菩薩心眞言一印念誦法』)
- ^ a b 堀内 1953, pp. 6–7.
- ^ “チベットについて>チベットと文化>くらしの中の信仰(オム・マニ・ペメ・フム)”. ダライ・ラマ法王日本代表部事務所. 2015年9月16日閲覧。
- ^ 『岩波仏教辞典』第二版、pp.121-122「唵麼抳鉢訥銘吽」、p.184「観音信仰」。
- ^ 『岩波仏教辞典』第二版、pp.121-122「唵麼抳鉢訥銘吽」。
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