蟹の横歩き 蟹の横歩きの概要

蟹の横歩き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

あらすじ

1945年1月30日ソ連軍の猛攻から逃れてきた東プロイセン一帯のドイツ人避難民が、ゴーテンハーフェン港(現ポーランド共和国グディニャ港)からヴィルヘルム・グストロフ号に乗り込んだ。その数は1万人を超えるとも言われる。その夜、航行中のグストロフ号はソ連潜水艦S-13に撃沈され、9千人を超える死者をだした。九死に一生を得た妊婦・トゥラはその日、救助船の上で男児を出産し、パウルと名づけた。

グストロフ号事件はその後の複雑な政治状況、ドイツの犯した戦争犯罪の重みから語ることはタブー化された。そしてナチスを賛美し、ドイツの戦争犯罪追及に反発するネオナチによって意味を歪められ「自らの正当化」の道具に用いられるようになった。

トゥラはパウルを飛び越え、パウルの子、コニーに自らの体験を伝えるようになる。ある日、パウルはネオナチのインターネットサイト「www.殉教者.de」でグストロフ号について語る人物がわが子コニーであることに気づいた……。

書誌情報

  • 原典 - Im Krebsgang, Steidl Verlag,Goettingen, 2002.
  • 邦訳 - 『蟹の横歩き―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』、池内紀訳、2003年(ISBN 4087733831)。



「蟹の横歩き」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蟹の横歩き」の関連用語

蟹の横歩きのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蟹の横歩きのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蟹の横歩き (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS