藤原実兼 (蔵人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 10:05 UTC 版)
経歴
文章生であった一方、康和5年(1103年)東宮昇殿を許されるなど、東宮・宗仁親王の身近に仕える。嘉承2年(1107年)宗仁親王が即位(鳥羽天皇)すると、非蔵人を経て、翌天仁元年(1108年)文章生のまま六位蔵人に補せられた。
若年時より博識を謳われ、『本朝無題詩』『朝野群載』『和漢兼作集』『擲金抄』『本朝小序集』などに漢詩・和歌作品が収録されている他、帥中納言・大江匡房の談話集である『江談抄』の筆録者であるともされている。
将来を嘱望されたが、天永3年(1112年)蔵人所において頓死。享年28。余りに急な死であり、殺害説も流布されたが、訴える者がおらず、何の沙汰もなかったという[2]。実兼が早世したため、一子・通憲は高階経敏の養子となっている。
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