白山神社 (平群町) 解説

白山神社 (平群町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 05:10 UTC 版)

解説

平安時代僧侶である道詮が、三論宗(1950年〈昭和25年〉以降は聖徳宗)の隠居寺として建立した(聖徳太子の建立説もある[1])慈尊山福貴寺の塔頭三明院の跡に、福貴寺の(神仏習合による)神宮寺[2]として造営された[3]

しかし、明治初期の神仏分離令以後は、福貴大字全体及び、福貴寺の鎮守社として扱われる。

造営年代は不詳。ただし、地元では白山信仰と関係しており、平安時代の創建ではないかという説もある[4]

集落の真西に当たる谷向い丘陵の山麓に近く、東向に鎮座する[5]

二ノ鳥居を潜り石段を上がって、右側に割拝殿が建ち、その奥に素木の流造で屋根が檜皮葺本殿が建立されている。本殿は、風雨から守るために、覆屋がかけられている。

祭神は、伊弉諾尊伊弉冉尊

1892年(明治25年)の明細帳には、「或云白山大神(あるいははくさんのおおかみ)」とも記されている。

本堂内倉庫に、「慈尊山白山大明神」「享保十四年」(1729年)と陽刻されている湯釜が残されている[6]

境内には、弥勒堂、摂社:若宮社(祭神:天児屋根命)、末社:淡嶋社(祭神:淡嶋大明神)、並びに、弥勒堂の裏を10数メートル登ると、近世の道詮律師の供養墓(貞観十八年十月二日寂)[7]がある。

なお、神社の6m程手前にあるは、陰石[8]を祀っている。

また、神仏習合による本地仏(ほんじぶつ)として、室町時代に造られたと考えられている、いずれも一木造りの立像の十一面観音菩薩像阿弥陀如来像地蔵菩薩像が、奈良国立博物館に寄託されている。


  1. ^ 平群町史編集委員会 1976, p. 698.
  2. ^ 白山神社掲示板
  3. ^ 白山神社 (はくさんじんじゃ)|へぐり散策マップ|平群町観光 オフィシャルホームページ”. 平群町観光オフィシャルホームページ「山のぽっけNAVI.」. 2022年9月18日閲覧。
  4. ^ 白山信仰. コトバンクより2022年9月22日閲覧
  5. ^ 平群町史編集委員会 1976, pp. 652–653.
  6. ^ 白山神社”. www.komainu.org. 2022年9月18日閲覧。
  7. ^ 道詮律師墓 (どうせんりっしはか)|へぐり散策マップ|平群町観光 オフィシャルホームページ”. 平群町観光オフィシャルホームページ「山のぽっけNAVI.」. 2022年9月18日閲覧。
  8. ^ 女性の陰部の形をした石


「白山神社 (平群町)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  白山神社 (平群町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「白山神社 (平群町)」の関連用語

白山神社 (平群町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



白山神社 (平群町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの白山神社 (平群町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS