永井豪 経歴

永井豪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 06:33 UTC 版)

経歴

デビュー

石川県輪島市に生まれ、1952年から東京都豊島区に住む。豊島区立大塚台小学校(現 豊島区立朋有小学校)から西巣鴨中学校を経て東京都立板橋高等学校卒業。幼少期に手塚治虫の『ロストワールド』を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになる。

高校卒業後、早稲田ゼミ(予備校)に通っていたが、3週間止まらない下痢に悩まされて大腸癌と思い込み、自分がこの世に生きていた証として漫画作品を残そうと決意[1][2]。のち大腸カタルに過ぎなかったことが判明して難なく完治したが、このときの決意をきっかけとして当初予定していた大学進学を断念した上で3ヶ月の浪人生活に終止符を打つ。その後1年半出版社へ原稿の持ち込みをするが掲載にいたらず、編集者から漫画家の先生に見てもらうよう勧められる。手塚プロダクションに赴くも手塚に会えず落胆していたが、石森章太郎(後に「石ノ森章太郎」)に原稿を見てもらうチャンスに恵まれ、すぐに石森の下で働くことになる[3]。石森が持っていたSFテイストやキャラクターメイキングの方法論は非常に永井に近いものだったようで、石森も自分が世に出た時期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」[4]と彼を評している。この時期の石森アシスタントには野口竜桜多吾作がいた。

永井自身はストーリー漫画、特にSF志望だったが[5]、石森のアシスタントが多忙を極めストーリー漫画を描いている時間がなく[6]、デビューの早道として比較的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント業の傍ら持ち込みを続けていた。1967年、テレビアニメ『ちびっこ怪獣ヤダモン』(ピープロ)漫画化企画を担当することなり、この腕慣らしとしてギャグ短編「目明しポリ吉」を『ぼくら』にてデビュー、続いて『〜ヤダモン』の連載とともにギャグ漫画をコンスタントに描く。

この頃、『週刊少年マガジン』の依頼で執筆した『じん太郎三度笠』が、5週連載となり高い人気を獲得するが、これに赤塚不二夫が反発して編集長に抗議した結果、内定していた正式連載の企画が没となってしまう[7]。さらに赤塚は永井を呼び出し、「ギャグの主人公は凄く健全でなきゃいけないのに、何で人殺すのやるんだ」と言って怒ったという[7]。しかし、この経験から「赤塚先生が描かないようなものを突き詰めて描けばよい」と、永井はスラップスティック、エロ・グロ・ナンセンスを多分に織り込んだギャグ・コメディ作品を描き続けることを決意する。その後、デビュー間もない永井の才能を早くから高く評価していた秋田書店の名物編集者で当時『冒険王』の編集長であった壁村耐三は永井に働きかけ、『まんが王』にて初のオリジナル連載である『馬子っこきん太』を掲載する。この時に壁村がアシスタントとして紹介した青年が後に永井の右腕となる蛭田充であった[8]

転機

デビューの翌年(1968年)、新創刊された『少年ジャンプ』(後の『週刊少年ジャンプ』)に『ハレンチ学園』を発表。奇妙な扮装に身を包んだ教師たちとイタズラを愛する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、本宮ひろ志作品と両輪で同誌を牽引した。ただしこの作品のヒットによりさらにギャグ漫画のイメージが定着し[9]、仕事の依頼もギャグものが多かったという。

この中で当時の小学生を中心とした流行風俗「スカートめくり」を扱った「モーレツごっこの巻」が、サブカルチャー一般に対し行われていたPTAの抗議活動に取り上げられ、子供に悪影響を及ぼすセクシュアルな作品の代表格として糾弾の対象となる。新聞紙上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、時に永井自身を目の前にして、本人曰く「人格否定まで」されるほどの糾弾活動だったという[10]。ちなみに本人が出演していた番組収録が終わると、批判していたPTAの女性陣が、若くて童顔だった永井を見て印象が変わり、サインを貰いに来たという[11]

しかしこのバッシングが結果的に、永井が時代を掴むきっかけとなる。『ハレンチ学園』で登場人物全てが戦争で殺し合う描写に始まり、『あばしり一家』(1969年 - 1973年)、『ガクエン退屈男』(1970年)などこの時期の発表作品の中で、その糾弾活動そのものをメタフィクション的にパロディ化、権力が奮う「正義」とは自由に生きる個人を押し潰すものとした上で、権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけという、永井作品の根幹を成す地獄絵図を描き出すことになる。

さらにこの時期、シリアスなストーリー作品も手がけ始め、差別とそれに対する復讐を描く『鬼-2889年の反乱-』(1970年)、アイデンティティ崩壊の危機を描く『くずれる』(1971年)、親と子の絆が崩壊する『ススムちゃん大ショック』(1971年)など、いずれも人間自身の存在意義を問い直すようなSFを発表した。その一方、常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化したものの一つ『オモライくん』(1972年)も描いている。それとともにSF作家の間で注目され、1970年のSF大会で筒井康隆を初代会長に永井豪ファンクラブが設立される。

『デビルマン』 - アニメ企画者へ

永井の更なる飛躍となったのは、東映動画とNET(後のテレビ朝日)にてアニメ化された代表作『デビルマン』(1972年 - )である。前年発表の『魔王ダンテ』を基にした作品との依頼だった。この作品では「神」が必ずしも「絶対善」ではないという着想が描かれていたが、アニメ『デビルマン』は、悪魔と合体しながら苦悩しつつ人間であろうとする斬新な設定の主人公をベースに、ヒーロー作品としてリメイクすることを依頼され、企画したという。ただし、当時『魔王ダンテ』の掲載誌編集長であった内田勝の自著などによると、そもそもヒーローコミックとして位置付けていたという。

アニメと同時に漫画連載(『週刊少年マガジン』)されたこの作品では、悪魔による侵略・種族の存続を賭けたヒーローの戦いを描くゴシックホラー調から、連載中期以降は人間同士の信頼感という常識が崩れていく展開へと移っていく。同じ人間の手によるヒロイン殺害という、『ハレンチ学園』の時すら避けられていた衝撃的な結末をもって、後にSFマンガのスタンダードと数えられる作品となった。

以後、永井を中心としたダイナミックプロの企画陣は、東映動画とのタッグで本格的な操縦者搭乗型ロボット作品のパイオニア『マジンガーZ』(1972年 - )、妖怪モチーフの『ドロロンえん魔くん』(1973年 - )、戦うヒロインの草分け『キューティーハニー』(1973年 - )、初の合体ロボット作品『ゲッターロボ』(1974年 - 、石川賢と共作)などの作品群を生み出し、ヒットキャラクターメーカーとして1970年代を駆け抜ける。

ことに『マジンガーZ』では玩具メーカーバンダイ(ポピー)と出会い、玩具ブランド「超合金」をはじめとした商品展開と、マンガ・アニメ・グラフ記事など連動した講談社『テレビマガジン』の誌上企画として展開され、この分野の推進役としても重要な役割を果たした。ここで毎回の企画記事を構成していたのが、ダイナミックプロとともにアニメ企画・版権管理会社として設立されたダイナミック企画である。無敵の「超合金」や無尽蔵な夢の「光子力エネルギー」などは科学礼賛・成長幻想の産物だが、漫画もアニメも作品自体はそれに冷や水を浴びせるかのような描写がたびたびなされ、その超人的なパワーを敵を倒すために使うか、自分の欲望のために使うかは主人公の自由という、本質的には正義も悪も奮うのは暴力という一貫したテーマが見て取れる。

『バイオレンスジャック』以後

永井とダイナミックプロのアニメが次々と放送される中、永井自身の漫画作品はむしろ、それとは全く違う展開をしていた。1973年には、後に掲載雑誌を変えながら2005年まで発表され続けている、地震で崩壊した世界が再生の道を探りながら混沌の暴力の渦中にある『バイオレンスジャック』、それとは全く逆に個人の内面が現実世界に影響を与え、鬼の世界を現出させる『手天童子』などの伝奇SFを描く。

その間にギャグ漫画としても、『オモライくん』の学園漫画版として始まりながら、エロチックなギャグと悪乗りで暴走した挙句『デビルマン』のような人類滅亡をまたも起こす『イヤハヤ南友』(1974年 - )や、体罰が日常茶飯事な学園で「顔を隠して体隠さず」とマスクとマフラー以外は全裸という常軌を逸した究極のヒロインが戦う『けっこう仮面』(1974年 - )、男子生徒が女子として学園生活を送って騒ぎを起こす『おいら女蛮』(1974年 - )など、常識をあっけらかんと覆す世界も展開した。

1979年には青年マンガ誌の誕生とともに、得意のエロチックギャグ作品『花平バズーカ』(原作:小池一夫)をいち早く連載する。少年誌では学園漫画という舞台で、初恋の相手がレイプという屈辱を受ける性表現の限界に挑みながら、一個人の内的世界が現実を破壊し尽くしてしまうという超能力漫画『凄ノ王』を発表する。この『凄ノ王』により1980年講談社漫画賞少年部門を受賞する。しかしこの作品は、主人公の怒りと悲しみが世界を破壊したところで唐突に終了する。永井はそれをあらかじめ決めていた流れと語ったが、読者の間では必ずしもそう受け止めるばかりではなく、賛否両論であった。

このように読者の判断が賛否に分かれる例は、『デビルマン』とつながった『バイオレンスジャック』のラストや、講談社の企画主導で一種のパラレルワールドとして始まりながら、永井の悪魔モチーフ作品を大きく纏め上げた『デビルマンレディー』の展開でも繰り返され、自身の言うように「先を決めずに」連載しながらその後の展開を読者の反応とともに創っていく、永井の作風から生まれる特徴であった。

プロレスの星 アステカイザー』(1976年)で関わりを持った新日本プロレスとは、1980年代後半にビッグバン・ベイダーのコスチュームデザイン、獣神サンダー・ライガーなどのタイアップを行った。

世紀末から21世紀

のと鉄道NT211号車ラッピング車両。永井の漫画のキャラクターが描かれている。

1997年銀座にて「永井豪原画展」、続く1998年「永井豪と世紀末展」という企画展が催され、それまでの漫画家・アニメ企画者としての永井の業績が初めてまとまった形で再評価された。

またそれ以後、その卓抜したキャラクターを他作家の筆により展開させた『ネオデビルマン』(複数作家競作)、『AMON デビルマン黙示録』(衣谷遊)、『キューティーハニー a GO GO!』(伊藤伸平庵野秀明)、『マジンガーエンジェル』(新名昭彦)などのプロデュース作品も生まれている。特に『ダイナミックヒーローズ』(越智一裕)は1970年代の永井ヒーロー作品があえて東映動画のタッチで描かれるという試みがなされており、往年の作品の影響力を窺わせた。

永井自身は21世紀に入って還暦を迎えても、少年誌から青年誌と広く作品を発表、それまでに描いてきたホラー調作品やギャグ漫画、ロボット作品などの他、『伊達政宗』『北条早雲』『前田利家』といった戦国時代に実在した人物の漫画化に挑むなど、旺盛な漫画家活動を続けている。

2010年5月からは『週刊漫画ゴラク』にて『デビルマン』執筆時のエピソードを多少の脚色を込めて描く『激マン!』の連載を開始、一時の休載をはさみ、2012年に完結した。基本的に永井は自画像をギャグタッチで描いており、自分自身をシリアスタッチの漫画に描く事には抵抗があったが、編集部より「不動明のようなハンサムに描いてくれ」と言われて承諾した。

2009年、故郷の輪島市に「永井豪記念館」が開館[12]。当地に存在する「いしかわ景観総合条例[13]」そのほか関係条例への適合が図られた町屋風の外観となっているが、中へ入ると雰囲気がガラッと変わり永井豪ワールド全開で来場者を迎え、毎年開館記念日には記念イベントを行っている。

2012年3月10日より、のと鉄道NT211号車に永井キャラクターが描かれたラッピング車両が運行を開始した[14]。3年間の運行予定だったが[14]、それ以降も運行は継続しており、永井豪記念館の宣伝も兼ねている[14][注 1]

2016年、第25回日本映画批評家大賞・アニメ部門ダイヤモンド大賞を受賞する[15]

2018年、永井執筆の全作品が第47回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞する[16]




注釈

  1. ^ ただし、のと鉄道七尾線の穴水 - 輪島間はすでに廃止されており、記念館までは穴水駅からバスの移動となる。

出典

  1. ^ a b 日刊スポーツ 漫画革命40年 永井豪特集
  2. ^ 激マン!』11話(2巻収録)では、17歳の頃とされている。
  3. ^ 永井豪『漫画家』p.35(1992年、実業之日本社)
  4. ^ 『GO NAGAI ALL HIS WORKS』より
  5. ^ 『激マン!』デビルマン編第1話(単行本第1巻収録)
  6. ^ 『激マン!』デビルマン編第2話(単行本第1巻収録) 永井曰く「意外とセンスがあった」とのこと。
  7. ^ a b 赤塚不二夫が永井豪の過激なギャグに「怒った!?」という意外な話 - Togetter
  8. ^ 週刊少年チャンピオン 2011年29号「ブラック・ジャック創作秘話」より
  9. ^ 『激マン!』デビルマン編第1話、第4話(単行本第1巻収録)
  10. ^ 激マン!』12話(2巻収録)
  11. ^ NHK『SWITCHインタビュー 達人達「園子温×永井豪」』永井の発言(2015年7月11日)
  12. ^ 北國新聞ホームページ - 撮れたてニュース:漫画文化発信に期待 輪島市 永井豪記念館オープン
  13. ^ 石川県HP内:土木部都市計画課>いしかわ景観づくりガイドブック:4章に「エコサイン事例」として当館の写真が掲載されている
  14. ^ a b c 【のと鉄道】永井豪キャラクターラッピング列車登場 - 鉄道ホビダスRMニュース、2012年3月12日
  15. ^ “批評家大賞アニメ部門で永井豪が最高賞に、功労賞・渡辺宙明を串田アキラが祝福”. 映画ナタリー. (2016年5月25日). http://natalie.mu/eiga/news/188463 2016年5月25日閲覧。 
  16. ^ “2018年度 第47回日本漫画家協会賞 発表”. 日本漫画家協会公式サイト. (2018年5月7日). http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=event&id=7182 2018年6月24日閲覧。 
  17. ^ a b c 「サイボーグ009VSデビルマン [インタビュー]永井豪」『宇宙船』VOL.150(2015 autumn)、ホビージャパン、2015年10月1日、 pp.122-123、 ISBN 978-4-7986-1099-3
  18. ^ 激マン!』1話(1巻収録)
  19. ^ 週刊少年ジャンプ』は永井のやり方に危機感を覚え「契約制度」を得る。この後に契約制度は漫画界のみならず、小説業界でも行うようになり、平成以降は別出版会社での同時連載は非常に難しくなっている。
  20. ^ 激マン!』22話(3巻収録)
  21. ^ 激マン!』1話(1巻収録)
  22. ^ 激マン!』10話(2巻収録)
  23. ^ 激マン!』10話(2巻収録)
  24. ^ 激マン!』10話(2巻収録)
  25. ^ 激マン!』10話(2巻収録)






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