水野英子 メディア出演

水野英子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 14:47 UTC 版)

メディア出演

  • 『近い昔の物語 トキワ荘の人々 漫画家 水野英子』 朝日新聞 1999年4月2,9,16,23,30日 週1回掲載 全5回 - 上京から帰郷までの思い出を語った。
  • BSマンガ夜話
  • 出没!アド街ック天国『椎名町』(2009年5月16日)- トキワ荘について話す。
  • 「新・家の履歴書:水野英子」、週刊文春、2018年3月15日号、頁64-67。※ インタビュー記事。
  • 「阿川佐和子のこの人に会いたい 第1436回:水野英子」,週刊文春,2023年3月30日号,頁116-121。※ インタビュー記事。
  • 『時代の証言者』「I LOVE マンガ 水野英子」読売新聞朝刊 2024年2月19日 -(月曜 - 金曜)

関連番組

  • BSマンガ夜話
    • 『星のたてごと』(2002年8月7日) - 本人出演なし。

水野英子を演じた人物

脚注

参考文献

  • 手塚治虫&13人 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』 蝸牛社、1987年、ISBN 4905579945
  • 丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年、ISBN 978-4094034417

外部リンク


注釈

  1. ^ 2002年に水野の旧作が講談社漫画文庫から復刊された際、各巻末に収録された「拝啓水野英子先生」の中で、多くの女性漫画家達が水野に宛てたファンレターという形式で自分の水野体験を綴っている(少女漫画ラボラトリー 図書の家 少女漫画資料室 01-講談社漫画文庫による「水野英子の娘たち」一覧)。
  2. ^ 丸山は漫画家水野英子を発掘しただけではなく、育ての親ともいえる存在で、担当編集者として水野の初期作品に深い関わりをもっていた(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
  3. ^ 3人ともワーグナーが好きだったためドイツ名の「マイヤー」が候補となり、そこにU(ドイツ読みでウー)を付け「うまいやー」となり、3人の頭文字(水野のM、石森のI、赤塚のA)になるようにもじって「U・MIA」、表記をカタカナとし「U・マイア」となった(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
  4. ^ 『赤い火と黒かみ』はオペラの『サムソンとデリラ』、『星はかなしく』はやはりオペラの『アイーダ』をベースにした作品で、『くらやみの天使』はオリジナルの現代物のミステリー(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年;水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年)。
  5. ^ 合作第一作目の『赤い火と黒かみ』は、まだ下関の実家にいた水野と、トキワ荘にいた石森と赤塚が、掲載誌『少女クラブ』の担当編集者の丸山昭を介して、郵送で原稿をやり取りしながら完成させた。しかしその作業にあまりにも(特に編集者にとって)手間がかかったため、いっそのこと水野を東京に呼び出そうという流れになったと、丸山は語っている。したがって、トキワ荘で三人揃って合作が行われたのは『星はかなしく』と『くらやみの天使』の二作のみである(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
  6. ^ この合作を企画し、担当編集者でもあった丸山が水野に上京を勧め、トキワ荘の部屋を押さえ、敷金・礼金も払うなどして準備を整えた[12]
  7. ^ 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』(手塚治虫&13人、1987年)に掲載された年表などより。なお、同書に収録された水野の回顧録『トキワ荘物語』には、入居は「確か昭和31年(1956年)の春」とあるが、後に出版された『トキワ荘日記』(水野英子、2009年)や『まんが トキワ荘物語』(手塚治虫ほか、2012年)に収録された同作品では「昭和33年(1958年)」と訂正が行われており、『トキワ荘日記』収録版には「この作品には年月などの間違いが多くありましたので正してあります」(同書、23頁)と注が付いている。また、同作でエピソードとして描かれているポール・アンカの「ユー・アー・マイ・ディスティニー」は1958年の作品である。
  8. ^ 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』(手塚治虫&13人、1987年)に収録された関連年表(324頁)には6月11日転出と記載されているが、後に出版された『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』(丸山昭、1999年)の年表や『まんが トキワ荘物語』(手塚治虫ほか、2012年)の著者略歴では1958年10月転出と訂正されている。

出典

  1. ^ a b 日本漫画家協会賞[リンク切れ]。2010年8月24日に参照。
  2. ^ 令和五年度文化庁長官表彰名簿
  3. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 その2-5
  4. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 その3-5
  5. ^ BSマンガ夜話-水野英子「星のたてごと」』 NHK・BS2、2005年8月7日放送。
  6. ^ 青池保子 『「エロイカより愛をこめて」の創りかた』 マガジンハウス文庫、2009年、ISBN 978-4838770403。水野と同じ下関出身で、水野が青池を出版社に紹介したことがきっかけとなり、水野と同じく15歳でデビューしている。
  7. ^ 竹宮惠子 『BSマンガ夜話-水野英子「星のたてごと」』 NHK・BS2、2005年8月7日放送。ゲスト出演。自身の作品『ファラオの墓』の女性登場人物は水野の絵柄を基にして描いたと証言している。
  8. ^ 萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編』 河出書房新社、2012年、ISBN 978-4309273075。第2章の水野との対談「私たちって変わり者かしら」を参照。同書の出版を記念して2012年4月7日に萩尾と水野のトークショーが行われた(コミックナタリー 萩尾望都、初の対談集発売記念で水野英子とトークショー)。
  9. ^ 山岸凉子 『舞姫 テレプシコーラ 第4巻』 メディアファクトリー、2003年、ISBN 978-4840104913。巻末の水野との対談を参照。
  10. ^ 水野英子の部屋 プロフィール
  11. ^ 下関TV-少女漫画三人展 水野英子
  12. ^ 丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年
  13. ^ 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年。公式サイト 水野英子の部屋の通信販売で入手可能。
  14. ^ 丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年。
  15. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 1-3
  16. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 3-4
  17. ^ a b 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 4-2
  18. ^ 文藝春秋編 『少女マンガ大全集-短編にみる魅惑のミクロコスモス』 文春文庫ビジュアル版、1988年、749頁。
    それまでより高年齢層向けのハイティーン向け少女誌「セブンティーン」の創刊に伴う連載で最注目作品だったわけでもある。
  19. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 4-3
  20. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 4-3
  21. ^ 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』(手塚治虫&13人、1987年)の紹介文(326頁)より。
  22. ^ 日本放送協会 (2021年10月28日). “「トキワ荘」秘話 ~石ノ森や赤塚が少女漫画を描いたわけ~”. NHKニュース. 2022年2月5日閲覧。
  23. ^ a b 新刊ラジオ 第1231回「トキワ荘パワー!」「トキワ荘の紅一点 水野英子さんへのインタビュー」10分54秒 - 12分9秒
  24. ^ 完全復刻版 リボンの騎士(少女クラブ版) 1
  25. ^ a b 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年。
  26. ^ 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年。よく3人で映画を見たり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしていた。また、1958年4月、トキワ荘で石森と同居していた石森の姉が急逝した当日も、赤塚と共に事態の一部始終を目撃しており、自著『トキワ荘日記』に石森の言動を含めて詳細な記述がある(石森の姉については石ノ森章太郎参照)。
  27. ^ 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年、36頁。
  28. ^ トキワ荘通り 4日、式次第[リンク切れ]
  29. ^ トキワ荘通り協働プロジェクト 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
  30. ^ トキワ荘通り 記念碑の紹介3
  31. ^ 石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談(第3回)[リンク切れ]
  32. ^ 川崎市市民ミュージアム|ウェブマガジン|活動レポート[リンク切れ]
  33. ^ a b 銀の花びら 講談社漫画文庫版2002年 丸山昭寄稿。
  34. ^ 電子書籍 eBookJapan:白いトロイカ 水野英子[リンク切れ]
  35. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 3-6 [リンク切れ]
  36. ^ “少女マンガはどこからきたの?上田トシコ、むれあきこら50~60年代の少女マンガ語る書籍”. コミックナタリー (株式会社ナターシャ). (2023年6月2日). https://natalie.mu/comic/news/527169 2023年6月2日閲覧。  "帯:ジャンルを育てたレジェンドたちの証言/1953年の手塚治虫「リボンの騎士」から1972年の池田理代子「ベルサイユのばら」までの期間で、少女マンガというジャンルがいかにして開拓されてきたのかをたどる。"






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