毒入りオレンジ事件 名誉毀損裁判

毒入りオレンジ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/21 18:55 UTC 版)

名誉毀損裁判

1982年5月、金平が文藝春秋を相手取り慰謝料3000万円と謝罪広告掲載を求めた名誉毀損裁判を起こした。東京地裁は記事内容を概ね事実と認めつつ、金平の顔を侮辱した表現が名誉毀損に該当するとして被告側に慰謝料100万円の支払いを命じた[1]。のちに和解。

後日談

金平正紀の長男で当時16歳だった金平桂一郎は、父と事件について語り合ったことはないとしながらも「大仰な中吊り広告や電車内で文春を読む人の多さに驚いた」「報道後の父は居直り、田中角栄にあやかって、『俺はボクシング界の闇将軍になる』と豪語していた」「父はライセンス剥奪後も支援者の存在が支えになっていたようだ」「父は関連記事を全部保存していた」「あの時代は日本選手が海外の試合で妨害工作を受けることが珍しくなかった」「この騒動によりボクシング界は良い方向に変わっていった」と振り返った[4][14]

外部リンク


  1. ^ a b c d e f g h 東京地方裁判所 昭和57年(ワ)3465号 判決
  2. ^ a b “本紙特別取材班による—国内・国外取材6ヵ月 カンムリワシ具志堅用高は『汚れた英雄』だった 金平会長は薬物投入の仕掛人!”. 週刊文春: 24-31頁. (1982-03-11). 
  3. ^ “死闘!薬物リング 金平前会長逆襲の成算 独占インタビュー『文春をKOするぞ』”. サンデー毎日: 16-20頁. (1982-03-28). 
  4. ^ a b “50周年総力特集52本 『私はそこにいた』 昭和57年 協栄・金平会長が語る毒入りオレンジ事件と父”. 週刊文春: 151-152頁. (2009-04-02). 
  5. ^ “金にまつわる「金平問題」後日譚”. 週刊サンケイ: 22-25頁. (1982-04-08). 
  6. ^ 衆議院会議録情報 第96回国会 法務委員会 第6号
  7. ^ 日本L・フライ級王座変遷
  8. ^ 1982年3月11日号「週刊文春(金平問題第1弾!)」
  9. ^ 金龍鉉(韓国)公式戦記録
  10. ^ ボクシング・マガジン1981年7月号
  11. ^ 1982年4月1日号「週刊文春(金平問題第4弾!)」
  12. ^ 衆議院会議録情報 第96回国会 決算委員会 第2号
  13. ^ 1982年4月8日号「週刊文春(金平問題第5弾!)」
  14. ^ 金平桂一郎 (2007年12月27日). オフレコ厳禁. インタビュアー:テリー伊藤. pp. 74-78. テリー伊藤 対談,537 アサヒ芸能. 


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