正宗
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正宗(まさむね、生没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国鎌倉で活動した刀工。五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道とも称された。「相州伝」と称される作風を確立し、多くの弟子を育成した。正宗の人物およびその作った刀についてはさまざまな逸話や伝説が残され、講談などでも取り上げられている。
- ^ この画像で黒白の模様のように見えるものは刃文ではなく、「刃取り」と呼ばれるものである。
- ^ NDLJP:1288371 コマ26
- ^ 東京大学史料編纂所データベース検索『大日本史料』索引データベース検索
- ^ 小笠原信夫「正宗弟子説の成立過程」(『Museum』497号,1992)に各刀剣書の比較を載せている
- ^ 正宗22世孫山村綱広が菩提寺本覚寺から筆記し「刀匠の秘密厳守」として『日本刀講座 ; 9』に掲載。書誌所蔵http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN03943899
- ^ 小笠原信夫「正宗弟子説の成立過程」(『Museum』497号,1992)p.26
- ^ 脇差〈無銘伝正宗/〉 国指定文化財等データベース 文化庁
- ^ 「筋金入」の語源。
- ^ 本間順治監修、広井雄一編『日本刀重要美術品全集』第2巻(青賞社、1985)、p.124
- ^ 本間順治は、「在銘の正宗は」という問いに対し、「不動」、「京極」、「大黒」、「木下」、「徳川黎明会の短刀」以外に、大阪の個人蔵のものなど計4口の短刀を挙げている(月刊『日本の美術』142号「正宗」(至文堂、1978)、p.86。
- ^ 『享保名物帳』の写本には、本阿弥家から徳川吉宗に提出したものを原本とするものと、本阿弥家の控え帳を原本とするもの(星野本、芍薬亭本)の2系統あり、両者には収録刀剣数に若干の違いがある。ここでは後者の芍薬亭本によった
- ^ 久留米市市民文化部文化財保護課 (2013年10月8日). “第38回くるめの考古資料展 江戸時代のくるめ 出土品から見える久留米藩のくらし”. 久留米市. 2023年2月18日閲覧。 P.5
- ^ 初見健一 『まだある。 玩具編』 大空ポケット文庫 ISBN 978-4903175058、P.74-75
- ^ 鈴木眞哉 『戦国「常識・非常識」大論争! 旧説・奇説を信じる方々への最後通牒』 歴史新書y 014 ISBN 978-4862486981、51p。鈴木は今村の名を挙げていない。
- ^ “国指定文化財(平成29年11月1日現在)”. 茨木市. (2018年2月2日) 2018年4月4日閲覧。
- ^ 本阿弥光遜『刀剣鑑定秘話』金竜堂出版部、1941年11月5日。
- ^ 【展示作品紹介】No.8 重要美術品 短刀 朱銘 正宗(蜂須賀正宗)nbthk_museumの2019年11月6日のツイート、2022年5月6日閲覧。
- ^ 2018.07.03/ 正宗(重要美術品)が日本美術刀剣保存協会へ寄贈され、評価査定を行わせていただきました。 古美術・刀剣 山城屋
- ^ 『徳川実紀』「大猷院殿御實紀」に、寛永15年(1638年)島津光久が父島津忠恒遺愛の正宗を献上する記事が見えるが、それとこの正宗がどう関係するかは不明。
- ^ 高瀬隠史(羽皐)『詳註 刀劔名物帖 附名物刀劔押形』 金港堂書籍、1913年。なお、福永酔剣(勝美)『日本刀剣百科事典』 (雄山閣出版、1993年)と同『皇室・将軍家・大名家刀剣目録』(雄山閣出版、1997年)では、「明治2年調べの『徳川将軍家御腰物台帳』に、なお(島津正宗が)記載されているから、献上は誤解とみるべきである」とある。しかし、『御腰物元帳』(佐野美術館蔵)や日本美術刀剣保存協会所蔵の『御腰物出帳』『御差物道具元帳』には、明治2年の段階で島津正宗が徳川将軍家に蔵されているという記載はない(末兼俊彦 「名物「島津正宗」について」『学叢』第37号、京都国立博物館、2015年5月29日、p.74)。
- ^ 末兼俊彦 「名物「島津正宗」について」『学叢』第37号、京都国立博物館、2015年5月29日、pp.65-76。
- ^ 資料がローマ字表記の為、名の漢字表記は不明。
- ^ 所さん!大変ですよ「日本刀が消えた!?ブームの陰で何が…」 - NHK
- ^ 平成15年2月3日(月曜日)官報号外政府調達第17号131ページ
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