欽明天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 23:45 UTC 版)
欽明天皇(きんめいてんのう、509年〈継体天皇3年〉 - 571年5月24日〈欽明天皇32年4月15日〉[1])は、日本の第29代天皇(在位:539年12月30日?〈宣化天皇4年12月5日〉 - 571年5月24日?〈欽明天皇32年4月15日〉)。
注釈
- ^ 「日本書紀」欽明天皇23年6月条に天皇が新羅が任那を滅ぼしたことを非難して任那再建を命じた詔を掲載しているが、これは「梁書」王僧弁伝に掲載された侯景打倒の誓盟文(552年)から引用した創作である。ただし、侯景の乱自体が欽明天皇期に起きた中国梁の事件であり、梁の侯景の乱と倭の任那喪失が前後して起きた結果、両国と同盟を結んでいた百済が苦境に陥っており、単なる創作ではなく倭にいた百済系フミヒト(書記官)によって創作された可能性があるとされる[2]。
- ^ 「日本書紀」には新羅は白旗を立てて欺いたと書かれている。同年の「三国史記」の新羅本紀にも伽耶が反乱を起こしたため、軍隊を送り、白旗を立てて敵を驚かせたという似た記述が見られる。
- ^ 天皇という称号が初めて使われた天皇が推古天皇または天武天皇で、それ以前は大王が使われていたという説も存在するが、ここでは扱わないこととする。
- ^ 「古事記」欽明天皇段には「弟(おと)、天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろには)天皇、師木島(しきしま)の大宮に坐しまして、天の下治めらしめしき」とある。師木島の大宮は、奈良県磯城郡に位置する。
出典
- ^ 「神皇正統録 上」(「続群書類従 第29輯ノ上 雑部」p.13)
- ^ 遠藤慶太「欽明紀における漢籍典拠」(初出:新川登亀男・早川万年編「史料としての「日本書紀」 津田左右吉を読みなおす」(勉誠出版、2011年)/改題所収:遠藤「欽明紀〈任那〉復建詔の漢籍典拠」「日本書紀の形成と諸資料」(塙書房、2015年)
- ^ “欽明天皇の宮殿?大型建物跡、桜井の遺跡で”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年6月3日) 2010年6月3日閲覧。
- 1 欽明天皇とは
- 2 欽明天皇の概要
- 3 即位年をめぐる議論
- 4 仏教公伝
- 5 脚注
欽明天皇と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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