東京ヤクルトスワローズ エピソード

東京ヤクルトスワローズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 07:48 UTC 版)

エピソード

フジサンケイグループ

1962年に国鉄球団と業務提携を結んだフジテレビジョンは、当時後楽園球場のテレビ放映権が、包括的な放映権契約を独占で結んでいた日本テレビ放送網しか与えられていなかった[注 28] ため、当時東映フライヤーズがメイン球場としていた神宮球場を本拠地にすることを前提に球団経営を引き受けたといわれる。その後先述どおり1965年のシーズン開幕直後に正式に球団譲渡を受け入れてサンケイ(産経)スワローズ(1966年からサンケイアトムズ)とした。

なお、国鉄球団がフジサンケイグループの後援を受け入れるにあたっては、後楽園の放映権の絡みから、神宮球場に隣接する神宮第2球場をフジサンケイグループ主導で建て替えて専用球場とする計画をしていたが、日本学生野球協会などからの反対意見や、明治神宮も第2球場をアマチュア専用球場にしたい意向もあったためか、第2球場ではなく学生野球との日程調整をし、それを優先させる形で主球場への移転を認めたという経緯がある[115]

国鉄から球団を買収した産業経済新聞社、フジテレビジョンは共にフジサンケイグループの企業である。1970年に産経新聞は球団経営から撤退したが、ヤクルトは引き続きフジサンケイグループが球団を後援する事を条件に経営を引き受けたという。2000年にヤクルト球団の第三者割り当てで、産経撤退後も5%弱の球団株を保有していたフジテレビは従来の分も併せて20%程度の株式を引き受ける事となり、球団と業務提携を締結した。

これに伴い、フジテレビと同じフジサンケイグループのラジオ局・ニッポン放送も従来以上にヤクルト球団をバックアップすることとなった。一方でニッポン放送は1979年以来横浜ベイスターズ(当時)(旧:大洋球団)の株式を保有し、同一企業とそのグループが複数の、しかも同一リーグに所属するチームに関与している事が長年の問題になっていたが(実際横浜が筆頭株主をニッポン放送に変更しようとした際に他球団のオーナーの猛反対にあいTBSが筆頭株主となった)、2005年にゴールデンイーグルスのオーナーの楽天が、横浜ベイスターズのオーナー(約70%保有)のTBSとの資本提携を図った際に、根来コミッショナーは「楽天とは異なり、フジテレビは横浜、ヤクルト両球団に対して実質的な支配権を持っていない」との見解を示していた。その後、保有していた両球団の株式はニッポン放送とフジテレビの持株会社化でフジ・メディア・ホールディングスへと移転したが、ベイスターズの株式については2012年以降同球団の親会社となったディー・エヌ・エーに2016年までに売却したため、ようやく長年の問題が解決した。

フジテレビONE(フジテレビジョンのCS衛星放送)では、これまでの対巨人戦の地上波とのトップ&リレーナイターに加え、2005年から巨人戦以外の主催ゲーム全試合(セ・パ交流戦含む)を『SWALLOWS BASEBALL L!VE』という題でCS衛星放送独占中継することになった。それ以前の1998年-2004年までは、当時フジテレビが資本参加していたスカイスポーツ→Jスカイスポーツ→J SPORTSで、フジテレビ・ニッポン放送とその関連法人である八峯テレビ(現・フジ・メディア・テクノロジー[注 29])との協力を得て、前述の巨人戦を除くヤクルト主催・主管の全試合を「スカイ・スタジアム→Jスカイ・スタジアム→J SPORTS STADIUM野球好き」にて放送していた。

また、CSが普及する前は、巨人戦をフジテレビとテレビ朝日(水・日曜を中心に、まれに金・土曜も)が放送していた。それ以外のカードは地方開催を中心とした一部のデーゲームをフジテレビとテレビ朝日を中心に、まれにテレビ東京で、巨人戦裏カードの全国中継ナイターはテレビ朝日(主に水 - 金曜日)が西武ライオンズ戦と同様の扱いで平日を中心に年度によっては相当数を放送した、一方フジテレビは優勝争いがかかった時を中心に放送し、テレビ東京も年度により放送していたが、いずれも散発的なものだった。

その一方独立局ではテレビ神奈川が随時『TVKハイアップナイター』として、特に大洋との対戦(どちらの主催を問わず)を中心に、大洋戦の放送がない時も他カードを併せる形で年数十試合を放送し、特に対阪神戦はサンテレビKBS京都にネットすることがあった。またCSテレビが放送ではなく通信(配信)であった1990年代のごく一時期ではあるが、朝日ニュースター(当時は朝日新聞社主導経営。現テレ朝チャンネル2)でごく数試合、テレビ朝日協力によるヤクルト戦の中継をケーブルテレビ向けに配信したことがあった。

さらに1967年からごく数年間、当時独立局[注 30] で経営難にあえいでいた東京12ch(現・テレビ東京)が全日放送に復帰するにあたり、番組ソフト不足解消の一環として、フジテレビから放映権を譲渡する形(ただし、制作主体は東京12chが行い、CXは制作協力だった)を取って、巨人戦以外のヤクルト主催・主管試合を東京12chから放送したこともあった。この時も球団資本の関係で、解説者とアナウンサーはCXからの派遣で賄っていた[116]

1974年まではTBSが優先権を持っていた大洋主催・主管試合とフジテレビのサンケイ→ヤクルト主催・主管試合の放送権の一部とを交換する形で、大洋戦の優先権がNETテレビ(現:テレビ朝日)に移動した1975年にはNET系からネットチェンジした直後の毎日放送が保有していた阪神主催試合の権利の一部と交換する形(当時TBSが編成していなかった金曜日の対巨人戦を関西テレビと交換)で、TBSテレビもヤクルト主催・主管試合を水曜・日曜の対巨人戦を中心に放送していた。また神宮球場への移転でフジテレビに優先権が移った後も、1960年代にはフジテレビ・TBS・NETテレビのいずれも中継できない場合に限り日本テレビが対巨人戦を散発的に中継した例がある。

試合球到着遅延事件

サンケイアトムズ時代の1967年10月9日、横浜公園平和野球場[注 31] で行われた対中日戦ダブルヘッダーでの出来事。試合で使う予定の公式球を搬送していたスポーツ店の自動車が交通渋滞のあおりを受け、試合開始予定の正午を過ぎても到着しないというハプニングが起きた。

そのため公式記録員がセ・リーグの鈴木龍二会長に連絡を取ったところ、鈴木は「応急処置として中日側の了解を得て練習球で試合をするように」と指示を出したものの、中日側はこれを拒否。結果的には公式球の到着を待って37分遅れで試合が始まった。当時セ・リーグのアグリーメントでは「ダブルヘッダーで試合を行う場合、第1試合は日没5時間前までに開始しなくてはならない」と定められていたことから、中日の西沢道夫監督は「このままでは第2試合は中止になってしまうのではないか」と抗議したが、日程調整上当初のダブルヘッダー開催を強行した。

初優勝決定の日

1978年10月4日、ヤクルトは地元・神宮で対中日戦を行った。ヤクルトの応援席のライト側外野席には「国鉄スワローズ→サンケイアトムズ→ヤクルトスワローズ初優勝!! 29年間のご支援ありがとう」という旨の横断幕が既に試合前から掲揚された。そして圧倒的な9-0のリードで迎えた9回一死一塁から谷沢健一の打球がセカンドゴロからのゲッツーとなり、念願の地元胴上げで初優勝を達成した。

決定の瞬間、選手らが一塁ベンチから飛び出して広岡達朗監督を胴上げすると、興奮の余りに客席からグラウンドに飛び出したファンからも祝福の胴上げや拍手をし、優勝記念の表彰式どころの騒ぎではなくなっていた。この模様はフジテレビから全国に放送された。

更にバックスクリーンのスコアボードにもセ・リーグ参加の他5チームに対するお礼のコメントを書いた垂れ幕が掲げられた。

  • 読売ジャイアンツ「セ・リーグの繁栄を今日まで導いてくれた伝統の巨人軍どうも有難う」
  • 阪神タイガース「熱心ななにわ気質の声援に大きな刺激を受けました。阪神球団どうも有難う」
  • 中日ドラゴンズ「ナゴヤ野球のしぶとさがやっと神宮に育ちました。中日球団どうも有り難う」
  • 広島東洋カープ「赤ヘル軍団の活躍が初優勝のよき刺激になりました。広島球団どうも有り難う」
  • 横浜大洋ホエールズ「新球場(横浜スタジアム)進出でセ・リーグのイメージが一段と上がりました。大洋球団どうも有り難う」

ロケットボーイズ

2人のリリーフ投手五十嵐亮太石井弘寿のコンビ。五十嵐は日本人右投手最速の158km/hの直球を、石井は日本人左投手最速の155km/hの直球をそれぞれ持った球界最速のリリーフコンビとしてその名をとどろかせた。「ロケットボーイズ」という愛称自体は、2002年5月にファンの公募で決められたものである。

もともとリリーフエースの高津臣吾へつなぐセットアッパーとしての役割を果たしていたが、高津がFAシカゴ・ホワイトソックスに移籍したことで2004年から五十嵐がストッパーとなる。五十嵐は抑えの守護神として2004年度、リーグ最多の66試合に登板して球団新記録となる42セーブポイントを挙げ、最優秀救援のタイトルを獲得した。一方の石井は2004年度、故障とアテネオリンピック出場でチームを離れることが多かったが、後半戦での登板機会は多く、中継ぎエースとして活躍した。

しかし、2009年に五十嵐がFAで大リーグのニューヨーク・メッツに移籍したことに伴い、ロケットボーイズはコンビ解消となった。2011年に石井が現役を引退し、二軍コーチに就任。

2018年、五十嵐が日本球界復帰後に在籍をしていたソフトバンクから戦力外通告を受けたことで、2019年春にヤクルト復帰が決まった。当時石井は一軍投手コーチであったため、選手とコーチの関係ではあるが、ロケットボーイズは10年ぶりに復活を果たした。翌2020年をもって五十嵐が現役を引退したことで、再びコンビ解消となった。

F-Projectとヤクルトタウン

2005年秋に古田敦也が監督に就任し、日本プロ球界では29年ぶりとなる選手兼任監督が誕生した。日本プロ野球選手会の会長でもあった古田は、かねてから「ファンにとって、プロ野球をもっと身近な存在にしたい」という想いが強く、2004年の球界再編問題で自ら奔走した経験から、その想いをより強くした。そこで監督就任と共にファンサービス向上や地域密着の強化などを柱とした球団改革構想「F-Project」の活動を同年11月1日に開始した。

F-Projectの「F」はFuruta(古田)の他、プロジェクトが目指すFan(ファン)、Fun(楽しむ)、Full(満員の球場)の3つの言葉を表しており「よりファンと選手・チームの距離を身近なものにして、本拠地の明治神宮野球場をスワローズファンで満員にし、かつ単に応援するだけでなく、ファン自らチームに参加してもらい、共に楽しみを分かち合いたい」という願いが込められていた。プロジェクトには古田の他、ヤクルト球団職員、外部からもカカクコム社長の穐田誉輝(当時。現相談役)や芸能・放送関係者を招聘し、IT産業やマスメディアを巻き込んだ球団の多角的経営を目指すことを打ち出した。同年11月23日に神宮で行われたファン感謝デーに合わせて、球団モバイルサイトのURLのQRコードが刷り込まれた名刺が作成され、当日は古田自らファンにこの名刺を配布するパフォーマンスが繰り広げられた。さらに、都内の企業ともオフィシャルパートナーシップを締結し、カカクコムの他、家電製造業のユニデンとも契約した(2006年からホーム用ユニフォーム左胸部分にロゴマークを掲出)。また、都民参加型のチームを作るという観点から東京都民銀行ともスポンサー契約を締結した。なお、これらの企業との契約は古田退任後に解消されたものも多く、東京都民銀行に至っては巨人の本拠地である東京ドームでの広告掲載に切り替えている。

さらに古田は球団に対し、当時の球団名「ヤクルトスワローズ」に「東京」を冠し、地域密着をアピールすることを提案した。古田は1990年代半ばから契約更改交渉の席などで球団幹部に対し「球団名に都市名か地域名を入れることはできないか」と提案を続けてきたものの実現には至らなかったが、球団もF-Projectの立ち上げを機に協力することを決定。球団名を「東京ヤクルトスワローズ」と変更した(同年12月19日のプロ野球実行委員会で承認)。なお、球団名に「東京」を冠していた球団は過去に例があり、戦前の東京巨人軍東京セネタース大東京軍(いずれも消滅)、戦後の東京オリオンズの4球団。東京オリオンズは1969年を最後に「ロッテ」に改称したが、東京ヤクルトはそれ以来37年ぶりに「東京」を冠する球団となった。また、これを機に神宮球場がある明治神宮外苑周辺の新宿区港区渋谷区の3つの特別区をホームタウンと位置づけ、「スワローズタウン(ヤクルトタウン)」と銘打って地域密着活動を行う方針も決定した。もっとも、ヤクルト本社や全国のヤクルトの販売会社からは「東京偏重」と反対意見が出たという[117]

このF-Projectが立ち上げられた背景には、ヤクルトの主催公式戦の観客動員数が慢性的に減少していたという事実がある。14年ぶりのリーグ優勝を果たした1992年には2,477,000人を集めたが、以後は徐々に減少。2005年から動員数は実数発表となったが、同年は130万人台にとどまった。本拠地の神宮球場ではスワローズファンの来場者減少が顕著な一方で、巨人の本拠地である東京ドームと比較してチケットが取りやすいことからビジター球団のファンの来場者が多く、ビジター側のファンがスワローズファンの数を上回ることがしばしばある。特に対巨人戦や対阪神戦ではビジター側の三塁・左翼側だけにとどまらず、あぶれた観客がホーム側の一塁・右翼側に入場するケースも多い。こうした現状に対し、選手会長の宮本慎也は「かなり複雑な気分。観客数が多くても自分たちを応援してくれる人が少ないのは寂しい」、五十嵐亮太も「神宮はヤクルトの本拠地だが、阪神ファンの方が多い」(実際神宮球場近隣には、阪神タイガースのグッズショップが存在している)と語るなど、選手の間からも現状を憂える声が挙がっており、スワローズのファン層を拡大し、来場者を増やすことが求められていた。

また、神宮球場でのデーゲーム開催数を増やす方針も打ち出された。神宮球場は学生野球(東京六大学野球連盟東都大学野球連盟)公式戦のスケジュールが優先されているため、ヤクルト主催公式戦は4月初旬の週末を除き、ほとんどがナイター開催となっていた。だが2005年から球団は学生野球側と積極的に折衝を行うようになり、デーゲームの開催数が増加。学生野球がシーズンオフになっている6月にもデーゲームが開催されるようになった。さらにF-Projectの活動開始に伴って折衝が行われた結果、2006年には東都リーグに割り当てられていた5月3日・5月4日のデーゲーム枠を取得(代わって東都はナイター開催)、集客力の高いゴールデンウイークのデーゲーム開催を実現した(神宮球場の使用権については明治神宮野球場#優先使用権も併せて参照)[注 32]。更にこれまで、暑さ対策のため自発的にデーゲームの開催を見合わせてきた8月についても2013年以後、一部の週末開催で、17時開始の薄暮デーゲーム(準ナイター)として行う試合もある(2018年は6月30日と7月1日のみ)。

この他、都内を本拠とする他のプロスポーツチームとの提携も積極的に進め、2006年7月にはJリーグFC東京と「東京のスポーツ振興」に共同で取り組むと発表。双方のファンの取り込みを目指した共同キャンペーンなどを展開している。また、同年9月にはbjリーグ東京アパッチ[注 33] とも提携を結んだ。2009年からはヤクルト球団・FC東京・大井競馬場による3者共同キャンペーンも行なっている。

なお古田の引退・監督辞任により、F-Projectは2007年シーズンをもって活動を終えたが、球団は2008年以降もファンサービスの改善に取り組む意向を示しており、F-Projectで行われていた日替わりのデーイベントは同年以降も継続して実施している。

主な活動

  • 2006年 - プロジェクト初年度は「チームとファンの新しい関係」をテーマに、ファンに親しまれる球団をアピールする活動を行った。
  • 2007年 - 2年目は「ファンによる、ファンのための神宮」がテーマ。前年はファンの来場回数増加など一定の成果を挙げたが、ファンから寄せられた意見を反映して、より楽しめる環境づくりを目指した。

セ・リーグ1試合最多タイ本塁打

2007年7月11日の対広島東洋カープ戦で、両チーム12本(ヤクルト8本、広島4本)の本塁打を放ち、延長11回参考記録ではあるが1試合の合計本塁打数のセ・リーグ最多タイ記録を樹立した。また、1試合8チーム本塁打はスワローズの球団新記録である。試合は延長11回、ラミレスのサヨナラ本塁打でスワローズが12-10で勝利した。なお、この日は強い南風が吹いており、出場した宮本慎也等が「バックスクリーンから外野方向へのいわゆる『ホームラン風』がこの結果に影響した」と後に証言している。

11打数連続安打(ギネス世界記録に認定)

ヤクルトは2009年6月14日の対オリックス・バファローズ4回戦(京セラドーム大阪)の5回表、プロ野球新記録となる11打数連続安打を含む打者15人の猛攻で10点を挙げた。

2-2の同点で迎えたこの回、先頭の青木宣親が中前安打したのを皮切りに、アーロン・ガイエル飯原誉士の連打で勝ち越しに成功。さらに宮本慎也の三塁線への犠打が内野安打となり、その後田中浩康まで9者連続で単打を放って計6点を挙げ、通算8回目となる1イニング最多連続打席安打のプロ野球タイ記録(9者連続)に並んだ。さらに再び打席が回った青木の四球を挟んで、続くガイエルが満塁本塁打を放ち、この段階で千葉ロッテマリーンズが3日前の同年6月11日に達成するなど、過去3回記録された1イニング最多連続打数安打のタイ記録(10打数連続)に並んだ後、飯原が二塁打を放って記録を11に更新した[注 34]。試合はヤクルトが計20安打を放ち、乱打戦の末に14-10で勝利した。またヤクルトは過去、1998年4月22日の対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)の1回裏にも1イニング10打数連続安打を達成しており(前述のタイ記録3回のうち2回目の達成)、NPB史上初めて1イニング10打数以上の連続安打を2度記録したチームとなった。

6月16日、神宮での対ロッテ戦が中止となった際に行われたチーム全体練習で、1本目を放った青木が取材を受けた折、好調の相手打線について問われ「ロッテのマリンガン打線には負けませんよ。こっちは世界一。ツバメのギネス打線です。打ち勝ちますよ」と答えたのをきっかけに、ギネス・ワールド・レコーズ社の関係者がこれに着目し、調査した結果「MLBでも達成されていない、価値のある記録」としてヤクルト球団関係者に記録申請を勧めた。球団内部には当初「記録は破られるもの」など申請に消極的な意見もあったが、選手側から「なかなかできない記録だし、ぜひとも名前を残したい」と強い要望が寄せられたことから協議した結果、6月29日に申請を決定。7月13日付けでギネス世界記録に認定された。7月15日の対読売ジャイアンツ10回戦(神宮)の試合前に認定証の贈呈式が執り行われ、ナインはその時使ったバットを持って記念撮影に臨んだ。当日の試合は青木が不振から先発を外れたものの、ヤクルトは奇しくも記録達成時と同じ20安打を放って巨人を圧倒し、13-7で快勝した。

なお前述の通り、ヤクルトはこの記録達成と同時に四死球を挟まない1イニング最多連続打席安打のタイ記録も達成しているが、こちらは翌2010年6月7日、千葉ロッテマリーンズとオリックス・バファローズが共に10者連続安打を放って更新している。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9
ヤクルト 2 0 0 0 10 1 1 0 0 14
オリックス 1 0 1 0 1 0 5 0 2 10

5回表の詳細

打席 打者 結果 得点 備考
1 青木宣親 中前安打
2 ガイエル 中前安打
3 飯原誉士 左前安打 1
4 宮本慎也 投前安打
5 デントナ 左前安打 2
6 相川亮二 左前安打 1
7 川島慶三 左前安打
8 武内晋一 一塁安打 1
9 田中浩康 中前安打 1 川島慶三は三本間で走塁死
10 青木宣親 四球
11 ガイエル 右越満塁本塁打 4
12 飯原誉士 中越二塁打
13 宮本慎也 一邪飛
14 デントナ 四球
15 相川亮二 一直

本拠地移転に関するエピソード

後楽園から神宮移転の経緯

仙台移転誘致構想

2004年6月、宮城県の複数の市民団体がヤクルトスワローズを同県仙台市宮城球場に誘致する活動を開始した。宮城球場は1973年から1977年までの5年間、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が暫定的に本拠地とするなど多数のプロ公式戦が開催されていたが、近年は老朽化や狭隘化など設備の陳腐化が著しく、県の財政難などもあり改修・改築もままならない状況で、その打開策としてプロ球団を誘致する構想が浮上した。また、ヤクルト球団は神宮球場の使用契約更新を1年毎に行っているが、これが不安定要素であるとして「ヤクルトが本拠地移転を検討している可能性がある」との噂から、活動を活発化した。ただし当時、ヤクルト球団はその旨の意思表示は全く行っておらず、あくまでも東京に本拠地を置き続けながら、空白地帯だった東北地方の仙台でも定期的に主催試合を行い、サブフランチャイズとして市場開拓する意向があったと一部夕刊紙等で報じられた。団体は非公式ながら署名などの誘致活動を行い「5年後を目途に誘致したい」という意向を見せていたが、直後にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併問題に端を発する再編騒動が勃発し、その後は宮城県を保護地域とする新規参入球団の構想が浮上した事で、同県のヤクルト誘致構想はそれに引き継がれる形で消滅した。宮城県の球団誘致は、東北楽天ゴールデンイーグルスとして実現している。

新潟県・新潟市による誘致構想

2009年9月から、新潟県新潟市がNPB球団の本拠地、もしくは年間10試合以上の主催ゲームを開催する「準本拠地」の誘致活動を水面下で開始した。同年7月1日に開場した新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)が、NPB関係者から設備面で高い評価を得たことが背景にある。2010年1月には「原則として球団を特定せずにNPB12球団を対象とし、拠点の一つとして年間数試合を開催する『準フランチャイズ』としての球団招致」という方向性が決まり、3月24日に県・市・県内財界関係者などから成る「プロ野球新潟招致委員会」が発足。当面は公式戦の開催数増加を目指し、その上で準本拠地を招致し、最終的には本拠地招致を目標として段階的に誘致活動を実施することになり、NPBとセ・パ12球団に対し働きかけを進めることになった。一部報道では、ある関係者がセ球団の誘致候補としてヤクルトの名を挙げていたが[注 35]、前述の通り現段階の方針はNPB全球団に対する活動が中心であり、県・市側からもヤクルト球団など各球団個別に対する公式な意思表示は行っていない(2011年末現在)。

新潟県は毎年9月に神宮球場でのヤクルト公式戦で日替わりのデーイベント「うまさぎっしり新潟Day」を開催しており、当日は泉田裕彦新潟県知事が観光PRを行っている他、始球式にも登板している。前述の経緯から泉田は2009年以降、新潟Day開催の折にヤクルト球団幹部に新潟での公式戦開催を要請しているが、球団側は2年連続で態度を留保していた。

その一方で、新潟市に隣接する燕市は同じ「つばめ」という縁から、2011年シーズンからヤクルト球団と交流・連携協定を締結し、2012年度以後も継続して展開している。

その内容としては、燕市民(同市在住・在学・在勤者)を対象としたコメの田植・稲刈りや、少年野球教室などのイベントに、球団マスコットのつば九郎や、試合出場機会の少ない若手・育成選手、球団OBを派遣することや、神宮で行われるスワローズ主管全試合においての「燕市ヒーロー賞」(マン・オブ・ザ・マッチ相当)に選ばれた選手に対して、同市に本社などを置く上掲協賛各企業・団体からの商品の贈呈(燕市産の金属製洋食器セットや協賛企業の製品)など様々なコラボレーションを展開している。また上掲協賛各社は球団のオフィシャルスポンサーとして支援を行っている[118]

なお、ヤクルト球団では同球場で初の主催公式戦として、2012年9月8日・9月9日に対読売ジャイアンツ2連戦を開催した(ヤクルト球団と新潟総合テレビが共同で主催、新潟市、燕市など共催)。ヤクルトが新潟県内で主催公式戦を開催するのは1991年以来、21年ぶりのことであった。

同一チームで打撃主要3部門を分け合い(史上初)

2015年は2001年以来、14年ぶりのセントラル・リーグ優勝を果たした。この年は破壊力ある強力打線が存在感をみせ、優勝の大きな原動力となった。なかでも、シーズン中盤から固定された2番川端慎吾、3番山田哲人、4番畠山和洋の活躍が大きく、川端は首位打者最多安打を、山田は本塁打王盗塁王最高出塁率を、畠山は打点王を獲得し、プロ野球では11年ぶりに同一チームで打撃タイトルを独占した[119][120]。また、打率(首位打者)打点(打点王)本塁打(本塁打王)の打撃タイトル主要3部門を同一チームの3人の選手で分け合うのはプロ野球史上初[120]

「平成最後」と「令和最初」の三者連続本塁打

2019年4月26日の対読売ジャイアンツ戦で菅野智之から、2番青木宣親、3番山田哲人、4番バレンティンが三者連続本塁打を放った。4月30日から翌5月1日に当時の今上天皇から皇太子への皇位継承が行われたことで、平成から令和へ改元がなされたため、これが「平成最後の三者連続本塁打」となった。その試合から1ヵ月後の2019年5月26日の対中日ドラゴンズ戦で清水達也から、2番青木宣親、3番山田哲人、4番バレンティン、同シーズン2度目となる三者連続本塁打を放った。これが改元後初めての三者連続本塁打であるため、「令和最初の三者連続本塁打」となった。したがって「平成最後」と「令和最初」の両方を青木・山田・バレンティンの3人で記録した。


注釈

  1. ^ セ・リーグで最多奪三振がタイトル制定となったのは1991年。球団公式サイトの球団のあゆみではセ・リーグ表彰で記載。
  2. ^ 18歳35日での達成は日本プロ野球史上最年少記録。
  3. ^ 現在の記録は1968年に江夏豊が記録した401。
  4. ^ かつ、球団史上唯一。
  5. ^ 指名後の入団交渉不実施による失効を含む。
  6. ^ ただしこの時代はサンケイに限らず、指名されても入団拒否したり、指名しても交渉を実施せずそのまま失効する者は多かった。
  7. ^ 当時の日本プロ野球ワースト記録で、現在もセ・リーグワースト記録及び、間に引き分けを挟まない連敗のワースト記録である。日本プロ野球記録はパ・リーグ千葉ロッテマリーンズ1998年に記録した18連敗(引き分け1を挟む)。
  8. ^ セ・リーグでの90敗到達球団はその後2003年まで現れなかった(横浜ベイスターズ、94敗)。
  9. ^ セ・リーグで勝率が3割を下回ったのはこの年のヤクルトが最後である。パ・リーグでは2005年に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが.281を記録しており、これ以後、日本プロ野球で3割を下回ったチームはない。
  10. ^ 日本記録は南海ホークス時代の1978年から福岡ダイエーホークス時代の1993年にかけて記録した16年連続。
  11. ^ 6月5日に1000打点、6月22日に1500試合出場、8月11日に350本塁打、8月25日に1500本安打。
  12. ^ 優勝チームとしてのワースト記録。セ・リーグでは1950年から1991年までの42年間、シーズン中に8連敗以上を記録したチームが優勝したことはなかった。その後、2015年にも9連敗を喫したが優勝している
  13. ^ この年規定投球回数に到達したのはハッカミー、高木、川崎のみであった。
  14. ^ ただし、MXテレビの親会社・東京新聞の関係で対中日戦のみ。
  15. ^ CS導入以前のパ・リーグプレーオフでは2005年の西武が勝率5割未満で進出している。
  16. ^ セ・リーグでは4度目、パ・リーグ(後述の近鉄)を含め5度目の事例。
  17. ^ パ・リーグ記録は、1954年から1956年にかけて、大映が後楽園球場で南海に喫した21連敗[87]
  18. ^ 国鉄の紋章動輪」に由来。球団設立当初はユニフォームの袖章にも使われた。
  19. ^ 1978年から1979年に在籍したデイヴ・ヒルトンの本塁打を出迎える写真がベースボール・マガジン社に残っている(参考:『ベースボールマガジン1994年秋季号 一冊まるごと大特集 プロ野球の華 本塁打がすごい!』 - 23ページに写真掲載)。また、1979年12月発行の漫画単行本『がんばれ!!タブチくん!!』第3巻でツバメのマスコットがホームランを打った選手を出迎えるシーンの描かれた作品が掲載されている。
  20. ^ 広島も地方開催は現状では年間1 - 2試合(2020年は無し)に抑えているため、現状はセ・リーグで試合数ベースで最も多く地方開催を行っているのは阪神である。但し、そのほぼ全てが京セラドーム大阪であるため、実質(開催球場ベース)は巨人がセ・リーグで最も多く地方開催を行っている。
  21. ^ なお、同様の理由で本拠地の横浜スタジアムが使用不可となるDeNAも東京ドームでの主催試合を6試合行う予定となっている。
  22. ^ これとは別に、巨人主管の2試合(当初1試合だったが、宇都宮清原球場での1試合が球場施設損壊のため会場変更になった)が郡山総合運動場開成山野球場で行われ、福島県で3試合開催。
  23. ^ 草薙の4月の3連戦のものは東日本大震災による関東地方(東京電力営業地域)のナイター開催自粛に伴う代替。
  24. ^ 本来、2009年は秋田こまちスタジアムでの2連戦開催が計画されたが、こまちスタジアムでは全国高等学校野球選手権秋田大会の開催と重複するため開催できず、その振り替えとして福島で1試合、もう1試合は神宮で開催。
  25. ^ 5月3-5日の対読売ジャイアンツ戦、9-11日の対広島東洋カープ戦、13-15日の対中日ドラゴンズ戦。
  26. ^ ビジター用は、対広島戦(8月17日 - 19日・マツダスタジアム)で、ホーム用は、対横浜戦(8月24日 - 26日・神宮球場)で使用。
  27. ^ 大杉勝男の8番について、後年の文献では一旦永久欠番となった後広沢克己に禅譲したため失効したと、記述している物が見受けられるが(ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球データファイル』等)、1983年11月9日の引退表明を1面で大きく扱ったサンケイスポーツ(東京版・1983年11月10日付)では、「球団は「背番号8」を保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた。」とあり、明らかに誤りである。この発表からも、この段階で将来的には相応しい選手に与える意向があったとみられる。
  28. ^ 1978年の日本シリーズ・阪急戦のヤクルト主管(日本シリーズの場合NPB主催)4試合も学生野球の都合で後楽園だったが、この時は後楽園開催の条件として日テレに1試合だけ(第2試合)放送権を譲渡することが盛り込まれていた。それ以外の3試合はフジテレビから放送された(阪急主管の3試合も系列局の関西テレビが事実上の独占放送権を持っていたためフジテレビでの放送となった)。なおヤクルト戦共々、後楽園を当時本拠地としていた日本ハムの主催・主管試合放映権を主に持っていたテレビ朝日はこのシリーズの放映権を得ることができなかった。
  29. ^ 放送上の制作クレジットはJ SPORTS→フジテレビ単独表記であり、球団のクレジットは入っていないが、事実上、球団から公式映像制作を受託している。
  30. ^ 現在の全国独立放送協議会に相当するもの
  31. ^ 当時神宮球場で日中に大学野球が開催されており、それを優先させたため。当時、消化試合の多くはデーゲームだったこともあり、アトムズ・スワローズ主催試合の一部は横浜や、川崎球場(当時大洋ホエールズ本拠地)等を間借りして行ったことがあった。
  32. ^ 2017年度も、5月4日・5月5日の阪神戦を対象にデーゲームを開催。これに伴って本来は原則木・金曜日(と、東京六大学野球連盟の予備日に充当している火・水曜で東京六大学連盟の試合がない場合)のデーゲームを基本使用日としている東都大学野球連盟は5月1日・5月2日の月・火曜日に前倒しを行った。
  33. ^ 2011年解散。現在のBリーグにおいてはいづれも渋谷区を本拠としたB1クラブのアルバルク東京サンロッカーズ渋谷が実在する。
  34. ^ 「1イニング連続打数安打」は、NPBでは四死球を挟む場合のみを連続記録として認めており、打数には含まれないが打者アウトとなる犠打・犠飛を挟む場合は参考記録となる。後者の例として1999年6月30日、横浜ベイスターズが対広島東洋カープ11回戦(富山市民)の5回裏に11打数連続安打を達成しているが、このケースでは犠飛が含まれるため参考記録として扱われている。
  35. ^ 2010年1月21日付・朝日新聞新潟版より。同紙上ではヤクルトの他、福岡ソフトバンクホークスも招致候補とされている。

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