本堂城 脚注

本堂城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/02 05:00 UTC 版)

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

  • 秋田県教育委員会『秋田県の文化財』秋田県教育委員会、290頁・439頁、1989.3
  • 秋田県教育委員会『秋田県の中世城館』秋田県文化財保護協会、276頁、1981.3
  • 秋元信夫「出羽北部の城館」伊藤清郎・山口博之編『中世出羽の領主と城館』高志書院<奥羽史研究叢書>、150頁、2002.2
  • 鈴木登「豊臣政権下の城下町、六郷周辺」国安寛・柴田次雄編『郷土史事典 秋田県』昌平社、94頁、1979.8
  • 塩谷順耳「本堂城回絵図をよむ」「本堂城と城下町」田口勝一郎責任編集『図説 秋田県の歴史』103-107頁、河出書房新社、1987.7
  • 沼館愛三『出羽諸城の研究』伊吉書院、1980.9
  • 今村義孝『秋田県の歴史』山川出版社<県史シリーズ 5>、1969.11
  • 加藤民夫「城館と村落」塩谷順耳編『中世の秋田』秋田魁新報社<さきがけ新書 2>、1982.10
  • 秋田県教育委員会編『秋田の有形文化財』無明舎、2001.12
  • 秋田魁新報社編『秋田大百科事典』秋田魁新報社、1981.9
  • 秋田県教育委員会『平成18年度 秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会資料』、2007.1

関連項目

外部リンク


  1. ^ 和賀薩摩守基義が観応3年(1352年足利尊氏より安本(横手市)・阿条字(美郷町)・雲志賀里(仙北市角館地域)の3郷を与えられたのが山本郡入部の契機とみられる。
  2. ^ 鈴木登 (1980)
  3. ^ 朱印状によれば、総高1万1.416石余で、うち太閤蔵入地がその21%にあたる2,436石余であった。
  4. ^ 道路そのものは大曲方面から払田柵をへて山城に通じ、さらに真昼峠を越えて陸奥国にも出られることから、以前から開かれていた可能性がある。塩谷順耳 (1987).
  5. ^ 明和年間(1764年 - 1771年)の村絵図では、本堂町南側のみ屋敷の間口8間程度・奥行50間程度で、他は間口8間程度・奥行20間程度、仲町・後町は間口12間程度・奥行20間となっている。
  6. ^ 文政9年-12年(1826年 - 1829年)。未完。全24巻。
  7. ^ *「本堂城廻村絵図」(美の国あきたネット)参照のこと。


「本堂城」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本堂城」の関連用語











本堂城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本堂城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本堂城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS