堀田城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 20:13 UTC 版)
本堂城と本堂領西端の高梨村の間に、真山と長森の2つの小残丘がある。この丘はともに古代の城柵払田柵の一部として利用され、両丘陵を取り囲むかたちで外柵が築かれていたことが、秋田県教育委員会の学術調査によって判明している。政庁などの主要な建物があったのは東の長森丘陵であるが、西の真山は長森に比して標高が高く、急峻であるが、どのように利用されていたか不明な点も多い。戦国時代には、この真山丘陵が館(平山城)として利用されており、館主は堀田氏であった。軍記物(『奥羽永慶軍記』など)によれば、堀田氏は本堂氏の重臣として行動をともにしている。このことより、堀田城は本堂領の西縁を守る役割を担っていたことが推定できる。
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