昭和東南海地震 前兆現象

昭和東南海地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 00:34 UTC 版)

昭和東南海地震(しょうわとうなんかいじしん)は、1944年昭和19年)12月7日午後1時36分から[4]紀伊半島東部の熊野灘三重県尾鷲市沖約20キロメートル(北緯33度8分、東経136度6分)から浜名湖沖まで破壊が進行した(震源としては「熊野灘」)、Mj7.9(Mw8.2)のプレート境界型巨大地震。単に「東南海地震[4][5]」または「1944年東南海地震[6]」と呼ばれることがある。また当初は遠州沖大地震と呼ばれていたが[7]、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠匿するため、「東南海地震」に変更したとする説がある[8][9]




「昭和東南海地震」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「昭和東南海地震」の関連用語

昭和東南海地震のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



昭和東南海地震のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの昭和東南海地震 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS