明治節
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学校以外での儀式
学校のほか官庁等においても奉祝式や祝賀式を行った。1937年より前は行っていないところもあったが、この年の明治節から成るべく行うように政府から求められた。また式に参列しない者も、当日午前9時の「国民奉祝の時間」に各々の場所で全国一斉に宮城遥拝を行うことになった[15]。1939年の明治節からは、学校や官公署のほか、各種団体、会社、銀行、工場などにおいても奉祝式を行うか、あるいは奉拝式を行うことになった。また市町村にあっては成るべく神社・学校・公会堂など適当な場所において奉祝の方法を講じることになった[16]。1941年の明治節以降、奉祝式などの行事は神社の祭典と密接な関係のもとに行うこととされた[17]。1942年の文部省「礼法要項」制定により、学校以外の団体で行う行事は学校での儀式に準じて行うべきことが明確になった[8]。1943年の明治節以降は奉祝式ではなく、もっぱら奉拝式を行うこととされた[18]。
宮中の儀式
明治節には宮中で2つの重い儀式が行われた。1つは明治節祭、もう1つは明治節の儀である[5]。1937年の明治節を例にとると宮中の儀式は次のように行われた。この年は「シナ事変下の時局を鑑み」宴会を取りやめたが、宮中三殿では天皇みずから明治節祭を執り行った。午前9時40分から宮内勅任官総代1名と同奏任官総代1名が参列し、掌典長以下が神饌と幣帛を奉奠し、賞典長が祝詞を奏し、天皇が黄櫨染御袍の装束で内陣の座に参進し、掌典の奉仕する御鈴の裡に玉串を奉奠して親拝を行った。次いで諸員が拝礼した。皇霊殿と神殿にも同様に祭典を行った。大奥においては午前10時40分から内大臣・宮内大臣・侍従長・侍従武官長以下側近者の拝賀を受け、11時頃から在京皇族と対面した。この間午前9時から内閣総理大臣を始め文武百官その他有資格者の参賀が続いた[19]。
宮中の明治節祭
皇室祭祀における明治節祭は1927年の皇室祭祀令改正により新たに設けられた[20]。天長節祭などと同じ小祭であり、賢所・皇霊殿・神殿の宮中三殿においてこれを行った[21]。天皇みずから官僚を率いて宮中三殿を親拝した[5]。
宮中の明治節祭は、明治天皇の偉業を称賛し、遺徳を仰ぐとともに、明治中興の精神を振作し、皇室と国家の興隆を祈る祭典であるといわれた。皇霊殿のみならず賢所と神殿においても祭祀を行うのは、単に明治天皇の神霊を慰める主旨ではなく、国家全体の発揚を祈るためであると考えられていた[22]。
宮中の明治節の儀
宮中で明治節の式を行った。その儀は紀元節の式と同じであった[23]。宮中の朝儀として参賀の儀を行い、そして群臣を宮中に召して餔宴(夕宴)を賜った。これは明治天皇の聖徳を仰ぎ明治の昭代を永遠に記念するという趣旨によるものであった。この趣旨は紀元節において参賀の儀と宴会の儀を行う趣旨と同じなので、皇室儀制令の附式によって明治節の儀を定め、参賀の儀・宴会の儀として紀元節の式と同じにしたのである[24]。
宮中における明治節の儀は、拝賀の儀、参賀の儀、宴会の儀の三つに分かれた[5]。
拝賀の儀の次第は、11時50分に皇族と朝鮮王公族が宮中に参内し、鳳凰の間で一人づつ順番で天皇に拝賀した。ついで同時刻前に参内している宮内親任官・同待遇、勅任官・同待遇が同じく鳳凰の間で各員順次に拝賀した。宮内奏任官・同待遇も同時刻前に参内していて、天皇が次の宴会の儀に出御する際に廊下に整列して拝賀した。宴会の儀に召された者は宴会場で一斉に拝賀した[25]。
参賀の儀は、宴会の儀に召されなかった文武官高官・有爵者・優遇者が参内するもので、諸員が順次参賀簿に署名して退出するものであった[26]。
宴会の儀の次第は次の通り。(1) 当日早朝御殿を装飾する、(2) 時刻に文武官高官・有爵者・優遇者・外交官が朝集所に参集する。(3) 諸員は宴殿に参進して位置につく。(4) 天皇が正装で出御する。天皇が着座するとき諸員は一斉に拝賀する。(5) 供奉・扈従の諸員が位置につく。(6) 天皇より勅語あり。(7) 内閣総理大臣が奉対する。(8) 外交官主席者が奉対する。(9) 天皇に膳と酒を供す。(10) 諸員に膳と酒を賜う。(11) 天皇入御。(12) 諸員退下[26]。
以上、参内者の服装は大礼服正装とされ、それがなければ通常礼服でもよしとされた[26]。
1937年に日中戦争が勃発して以降、毎年天皇の仰せということで、明治節の宴会の儀を取りやめる一方、参賀の儀の参賀者を増やした。明治節当日に宮中に参賀するのは、宮中席次第10階以上(内閣総理大臣以下高等官以上、同待遇者、位勲功爵を有する者、帝国議会各院議員など)、文化勲章受章者、および宗教団体のトップであった[27]。
神社の明治節祭
伊勢神宮や官国幣社以下の神社では明治節祭が行われた[5]。神社における明治節祭は天長節祭などと同じ中祭であった[28][29]。伊勢神宮における明治節祭の祭式は紀元節祭祭式の例に依った[30]。伊勢神宮、官国幣社、府県社以下神社、靖国神社における明治節祭の祝詞は、それぞれ省令で定められていた[30][31][29]。たとえば、明治神宮を含む官国幣社の明治節祝詞は次のようであった[32]。
掛 まくも畏 き某神社の大前 に、宮司〔位勲功爵氏名〕恐 み恐 みも白 さく。遠皇祖 の大 御代 より、天皇命 の御代 御代 、受伝来 坐 せる序 の随 に、天 つ日嗣 の高御座 に坐 して、食国 ・天 の下 の大御業 を恢 給 ひ、皇大御国 の大御隆 を進 給 ひし明治天皇の、高 き大御業 を尊 奉 り、厳 しき大 御代 を仰 奉 ると、齋 定 給 へる今日 の生日 の足日 に、大前 に御食 ・御酒 ・種種 の物 を捧 奉 りて称辞 竟 奉 らくを平 けく安 けく聞食 して、明治の新代 の大御蹟 を弥継継 に恢弘 めしめ給 ひて、皇大朝廷 の大 御稜威 を、天 の壁立 極 、国 の退立 限 、弥高 に弥広 に伊照 り輝 かしめ給 ひ、親王 等 ・諸王 等 を始 めて、食国 ・天 の下 の国民 に至 るまで、五十橿 ・八桑枝 の如 く立栄 えしめ給 へと、恐 み恐 みも白 す — 内務省令、官国幣社祭式 明治節祝詞
太平洋戦争開戦直前の明治節では、官国幣社以下神社において執行される明治節祭に市町村民が多数参列すべきこと、神社の祭典は成るべく午前10時に執行することとされた[17]。太平洋戦争中の明治節では、市町村民は成るべく神社に参拝し必勝祈願をすることが求められた[33]。
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