明治節 学校以外での儀式

明治節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 08:11 UTC 版)

学校以外での儀式

学校のほか官庁等においても奉祝式や祝賀式を行った。1937年より前は行っていないところもあったが、この年の明治節から成るべく行うように政府から求められた。また式に参列しない者も、当日午前9時の「国民奉祝の時間」に各々の場所で全国一斉に宮城遥拝を行うことになった[15]。1939年の明治節からは、学校や官公署のほか、各種団体、会社、銀行、工場などにおいても奉祝式を行うか、あるいは奉拝式を行うことになった。また市町村にあっては成るべく神社・学校・公会堂など適当な場所において奉祝の方法を講じることになった[16]。1941年の明治節以降、奉祝式などの行事は神社の祭典と密接な関係のもとに行うこととされた[17]。1942年の文部省「礼法要項」制定により、学校以外の団体で行う行事は学校での儀式に準じて行うべきことが明確になった[8]。1943年の明治節以降は奉祝式ではなく、もっぱら奉拝式を行うこととされた[18]

宮中の儀式

明治節には宮中で2つの重い儀式が行われた。1つは明治節祭、もう1つは明治節の儀である[5]。1937年の明治節を例にとると宮中の儀式は次のように行われた。この年は「シナ事変下の時局を鑑み」宴会を取りやめたが、宮中三殿では天皇みずから明治節祭を執り行った。午前9時40分から宮内勅任官総代1名と同奏任官総代1名が参列し、掌典長以下が神饌と幣帛を奉奠し、賞典長が祝詞を奏し、天皇が黄櫨染御袍の装束で内陣の座に参進し、掌典の奉仕する御鈴の裡に玉串を奉奠して親拝を行った。次いで諸員が拝礼した。皇霊殿と神殿にも同様に祭典を行った。大奥においては午前10時40分から内大臣・宮内大臣・侍従長・侍従武官長以下側近者の拝賀を受け、11時頃から在京皇族と対面した。この間午前9時から内閣総理大臣を始め文武百官その他有資格者の参賀が続いた[19]

宮中の明治節祭

皇室祭祀における明治節祭は1927年の皇室祭祀令改正により新たに設けられた[20]。天長節祭などと同じ小祭であり、賢所・皇霊殿・神殿の宮中三殿においてこれを行った[21]。天皇みずから官僚を率いて宮中三殿を親拝した[5]

宮中の明治節祭は、明治天皇の偉業を称賛し、遺徳を仰ぐとともに、明治中興の精神を振作し、皇室と国家の興隆を祈る祭典であるといわれた。皇霊殿のみならず賢所と神殿においても祭祀を行うのは、単に明治天皇の神霊を慰める主旨ではなく、国家全体の発揚を祈るためであると考えられていた[22]

宮中の明治節の儀

宮中で明治節の式を行った。その儀は紀元節の式と同じであった[23]。宮中の朝儀として参賀の儀を行い、そして群臣を宮中に召して餔宴(夕宴)を賜った。これは明治天皇の聖徳を仰ぎ明治の昭代を永遠に記念するという趣旨によるものであった。この趣旨は紀元節において参賀の儀と宴会の儀を行う趣旨と同じなので、皇室儀制令の附式によって明治節の儀を定め、参賀の儀・宴会の儀として紀元節の式と同じにしたのである[24]

宮中における明治節の儀は、拝賀の儀、参賀の儀、宴会の儀の三つに分かれた[5]

拝賀の儀の次第は、11時50分に皇族と朝鮮王公族が宮中に参内し、鳳凰の間で一人づつ順番で天皇に拝賀した。ついで同時刻前に参内している宮内親任官・同待遇、勅任官・同待遇が同じく鳳凰の間で各員順次に拝賀した。宮内奏任官・同待遇も同時刻前に参内していて、天皇が次の宴会の儀に出御する際に廊下に整列して拝賀した。宴会の儀に召された者は宴会場で一斉に拝賀した[25]

参賀の儀は、宴会の儀に召されなかった文武官高官・有爵者・優遇者が参内するもので、諸員が順次参賀簿に署名して退出するものであった[26]

宴会の儀の次第は次の通り。(1) 当日早朝御殿を装飾する、(2) 時刻に文武官高官・有爵者・優遇者・外交官が朝集所に参集する。(3) 諸員は宴殿に参進して位置につく。(4) 天皇が正装で出御する。天皇が着座するとき諸員は一斉に拝賀する。(5) 供奉・扈従の諸員が位置につく。(6) 天皇より勅語あり。(7) 内閣総理大臣が奉対する。(8) 外交官主席者が奉対する。(9) 天皇に膳と酒を供す。(10) 諸員に膳と酒を賜う。(11) 天皇入御。(12) 諸員退下[26]

以上、参内者の服装は大礼服正装とされ、それがなければ通常礼服でもよしとされた[26]

1937年に日中戦争が勃発して以降、毎年天皇の仰せということで、明治節の宴会の儀を取りやめる一方、参賀の儀の参賀者を増やした。明治節当日に宮中に参賀するのは、宮中席次第10階以上(内閣総理大臣以下高等官以上、同待遇者、位勲功爵を有する者、帝国議会各院議員など)、文化勲章受章者、および宗教団体のトップであった[27]

神社の明治節祭

伊勢神宮や官国幣社以下の神社では明治節祭が行われた[5]。神社における明治節祭は天長節祭などと同じ中祭であった[28][29]。伊勢神宮における明治節祭の祭式は紀元節祭祭式の例に依った[30]。伊勢神宮、官国幣社、府県社以下神社、靖国神社における明治節祭の祝詞は、それぞれ省令で定められていた[30][31][29]。たとえば、明治神宮を含む官国幣社の明治節祝詞は次のようであった[32]

かけまくもかしこき某神社の大前おほまへに、宮司〔位勲功爵氏名〕かしこかしこみもまをさく。遠皇祖とほすめろぎおほ御代みよより、天皇命すめらみこと御代みよ御代みよ受伝来うけつたへきせるついでまにまに、あま日嗣ひつぎ高御座たかみくらして、食国をすくにあめした大御業おほみわざひろめたまひ、皇大御国すめらおほみくに大御隆おほみさかえすすめたまひし明治天皇の、たか大御業おほみいさをたふとみまつり、いかしきおほ御代みよあふぎまつると、いはひさだめたまへる今日けふ生日いくひ足日たるひに、大前おほまへ御食みけ御酒みき種種くさぐさものささげまつりて称辞たたへごとをへまつらくをたいらけくやすらけく聞食きこしめして、明治の新代あらたよ大御蹟おほみあと弥継継いやつぎつぎ恢弘のべひろめしめたまひて、皇大朝廷すめおほみかどおほ御稜威みいつを、あめ壁立かきたつきはみくに退立のきたつかぎり弥高いやたか弥広いやひろ伊照いでかがやかしめたまひ、親王みこたち諸王おほきみたちはじめて、食国をすくにあめした国民おほみたからいたるまで、五十橿いかし八桑枝やくはえごと立栄たちさかえしめたまへと、かしこかしこみもまを — 内務省令、官国幣社祭式 明治節祝詞

太平洋戦争開戦直前の明治節では、官国幣社以下神社において執行される明治節祭に市町村民が多数参列すべきこと、神社の祭典は成るべく午前10時に執行することとされた[17]。太平洋戦争中の明治節では、市町村民は成るべく神社に参拝し必勝祈願をすることが求められた[33]


  1. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ). “明治節”. コトバンク. 2020年8月17日閲覧。
  2. ^ 世界大百科事典, 第2版. “明治節”. コトバンク. 2020年8月17日閲覧。
  3. ^ 年間行事予定”. 明治神宮. 2020年8月17日閲覧。
  4. ^ 文部省『尋常小学修身書 : 児童用 巻3』1936年、56-59頁、NDLJP:1277989/33。 表記を現代的かつ大人向けに改めてある。
  5. ^ a b c d e f g h i 堀之内恒夫 「尋常小学修身新指導書」巻3、1936年、358-359頁、NDLJP:1459068/190
  6. ^ a b c 明治節ヲ制定セラレタルニ付祝賀式挙行方”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 大正十二年十一月~昭和二十一年五月・帝室ニ関スル総規・第一冊. 2020年8月18日閲覧。
  7. ^ a b c 堀之内恒夫 「尋常小学修身新指導書」巻3、1936年、359-360頁、NDLJP:1459068/191
  8. ^ a b c d e 「祝祭日」、九華会編『解説礼法要項 : 文部省制定』1941年、49-53頁、NDLJP:1464441/33~35。
  9. ^ 九華会編『解説礼法要項 : 文部省制定』1941年、52頁下段、NDLJP:1464441/35。明治天皇の写真に関する記述は文部省制定によるものではなく九華会による注釈である。
  10. ^ 近森一重 『小学校音楽指導書 実際篇』1939年、109頁、NDLJP:1463457/62
  11. ^ a b c d e 『官報』1928年10月02日、文部省告示第369号、NDLJP:2956993/1
  12. ^ a b c 文部省編「明治節唱歌」1928年、NDLJP:1146755/3
  13. ^ a b c 『官報』1928年3月2日広告「明治節唱歌歌詞募集」文部省、NDLJP:2956812/7
  14. ^ a b 近森一重 『小学校音楽指導書 実際篇』1939年、130頁NDLJP:1463457/73
  15. ^ a b c 明治節奉祝及国民精神作興週間実施要綱(昭和12年10月19日内閣情報部長通知)。明治節奉祝及国民精神作興週間実施方ニ関スル件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 枢密院文書・宮内省往復・稟議・雑書・昭和十二年. 2020年8月18日閲覧。
  16. ^ a b 明治節奉祝実施要綱(昭和14年10月5日次官会議決定)。明治節奉祝実施要項”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 枢密院文書・官規ニ関スル書類附儀礼. 2020年8月18日閲覧。
  17. ^ a b c 明治節奉祝実施要綱(昭和16年10月16日大政翼賛会事務総長通牒)。明治節奉祝実施要綱ニ関スル件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 公文雑纂・昭和十六年・第三巻・内閣三・大政翼賛会関係. 2020年8月18日閲覧。
  18. ^ a b 明治節奉祝実施要綱(昭和18年10月15日大政翼賛会事務総長通牒)。明治節奉祝実施要綱”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 公文雑纂・昭和十八年・第十一巻・内閣十一・内閣十一(大政翼賛会関係六). 2020年8月18日閲覧。
  19. ^ 「明治節御儀」皇軍発行所編纂部輯『皇室の御近状』1938年、12頁、NDLJP:1112026/84
  20. ^ 『官報』1927年10月15日、昭和2年皇室令第12号
  21. ^ 皇室祭祀令第22条、第23条第1項。NDLJP:1442911/24など参照。
  22. ^ 酒巻芳男『皇室制度講話』岩波書店、1934年、NDLJP:1464313/48
  23. ^ a b 官報1927年11月2日、皇室令第14号「皇室儀制令中改正ノ件」NDLJP:2956715/1
  24. ^ 皇室儀制令中改正案”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 公文類聚・第五十一編・昭和二年・第二巻・皇室三・皇室令制、政綱・詔勅・法例・帝国議会~雑載. 2020年8月18日閲覧。
  25. ^ 堀之内恒夫 「尋常小学修身新指導書」巻3、1936年、354頁、NDLJP:1459068/188
  26. ^ a b c 『官報』1926年10月21日、皇室令第7号「儀制令」、附式、紀元節の儀、NDLJP:2956399/22
  27. ^ 国立国会図書館デジタルコレクションを「明治節宴会」&「参賀」で検索した結果を参照。
  28. ^ 『官報』1927年10月21日。勅令第310号「神宮祭祀令中改正ノ件」、勅令第311号「官国幣社以下神社祭祀令中改正ノ件」、NDLJP:2956705/1
  29. ^ a b 『官報』1927年10月21日、陸軍省令第22号、靖国神社祭式中改正、NDLJP:2956705/2
  30. ^ a b 『官報』1927年10月21日、内務省令第43号神宮ニ於テ行フ明治節祭祭式及祝詞、NDLJP:2956705/1
  31. ^ 『官報』1927年10月21日、内務省令第44号官国幣社以下神社祭式中改正、NDLJP:2956705/1
  32. ^ 「明治節祝詞」、神祇院総務局監輯『最新神社法令要覧』1941年、官国幣社以下神社祭式、第一 官国幣社祭式、五 祝詞、NDLJP:1040151/115。『官報』1927年10月21日、内務省令第44号官国幣社以下神社祭式中改正、NDLJP:2956705/1。原文のカタカナをひらがなに改めた。万葉仮名を削ってその振り仮名を本文にした。句読点、中点、カギ括弧を適宜補った。宮司、明治天皇、明治などに振り仮名がないのは原文のまま。
  33. ^ a b c 明治節奉祝実施要綱(昭和17年10月15日大政翼賛会事務総長通牒)。明治節奉祝実施要綱”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 枢密院文書・宮内省往復・稟議・雑書・昭和十七年. 2020年8月18日閲覧。
  34. ^ 『官報』1920年10月29日、内務省省令第35号「明治神宮例祭式」、NDLJP:2954588/1
  35. ^ 『官報』1920年10月29日、内務省省令第35号「明治神宮例祭式」二 祝詞、NDLJP:2954588/1。原文のカタカナをひらがなに改めた。万葉仮名を削ってその振り仮名を本文にした。句読点、中点、カギ括弧を適宜補った。宮司、明治天皇、明治などに振り仮名がないのは原文のまま。
  36. ^ 「明治神宮例祭大祭」皇軍発行所編纂部輯『皇室の御近状』1938年、12頁、NDLJP:1112026/84
  37. ^ 「明治神宮献詠歌披講式」皇軍発行所編纂部輯『皇室の御近状』1938年、12頁、NDLJP:1112026/84
  38. ^ a b 「明治神宮体育大会経過概要」、厚生省編『明治神宮国民体育大会報告書 第10』1940年、3頁、NDLJP:1172875/42
  39. ^ a b 入江克己「近代の天皇制と明治神宮競技大会」、吉見俊哉ほか『運動会と日本近代』第5章、青弓社ライブラリー6、1999年。
  40. ^ 『明治天皇紀』嘉永5年9月22日条。
  41. ^ 九月二十二日御誕辰ニ付天長節ヲ執行セシム」明治元年(慶応4年)8月26日行政官(布)、日本法令索引〔明治前期編〕。『法令全書』明治元年【第679】、NDLJP:787948/188。「九月二十二日ハ聖上ノ御誕辰相当ニ付毎年此辰ヲ以テ群臣ニ酺宴ヲ賜ヒ天長節御執行相成天下ノ刑戮被差停候偏ニ衆庶ト御慶福ヲ共ニ被遊候思召ニ候間於庶民モ一同嘉節ヲ奉祝候様被仰出候事」
  42. ^ 太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」明治5年11月9日太政官第337号(布)、日本法令索引〔明治前期編〕。『法令全書』明治5年第337号、NDLJP:787952/172
  43. ^ 皇霊以下御祭日等改定」明治6年7月20日太政官第258号(布)、日本法令索引〔明治前期編〕。『法令全書』明治6年第258号、NDLJP:787953/265
  44. ^ 年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」明治6年10月14日太政官第344号(布)、日本法令索引〔明治前期編〕。『法令全書』明治6年第344号、NDLJP:787953/335
  45. ^ 小学校祝日大祭日儀式規程 -”. Wikisource. 2020年8月17日閲覧。
  46. ^ 『官報』1908年9月19日、皇室令第1号「皇室祭祀令」第20~23条、NDLJP:2950919/2
  47. ^ a b 7月30日を明治天皇の崩御日とするのは『明治天皇紀』による。『昭和天皇実録』によると明治天皇は崩御日の前日に死亡した。
  48. ^ 『官報』1912年7月30日、詔書「大正ト改元」、NDLJP:2952093/17
  49. ^ a b 休日ニ關スル件 (大正元年)”. Wikisource. 2020年8月17日閲覧。
  50. ^ a b c d 明治神宮関係|Q&A”. 明治神宮. 2020年8月17日閲覧。
  51. ^ a b c 「明治節(十一月三日)」、宮城県神職会柴田郡支部『祝祭日解義』1928年、26-28頁、NDLJP:1456710/20
  52. ^ 徳富猪一郎『聖徳景仰』1934年、121頁、NDLJP:1234279/72
  53. ^ 第30回帝国議会衆議院本会議第14号大正2年3月24日、帝国議会会議録検索システム。
  54. ^ a b 『官報』1913年07月18日、宮内省告示第15号「天長節ハ八月三十一日天長節祭ノミヲ行ハセラレ十月三十一日ヲ天長節祝日ト定メ宮中ニ於ケル拜賀宴会ハ同日ニ於テ行ハセラルヘキ旨仰出」、NDLJP:2952391/1
  55. ^ a b 『官報』1913年07月18日、勅令第259号「休日ニ関スル勅令中改正」、NDLJP:2952391/1
  56. ^ 内務省神社庁『明治神宮造営誌』1930年、38-39頁、NDLJP:1178592/197
  57. ^ 内務省衛生局編『明治神宮競技大会報告書 第1回』1925年、5頁、NDLJP:978525/14
  58. ^ 野本 恭八郎(ノモト キョウハチロウ)とは”. コトバンク. 2020年8月17日閲覧。
  59. ^ a b c 「明治節制定の首唱」、大正記念長岡市立互尊文庫編『天爵互尊翁』1933年、27-30頁、NDLJP:1212707/26
  60. ^ 第45回帝国議会衆議院請願委員第二分科第4号大正11年2月20日、1頁、2段目右端。
  61. ^ 明治節創定請願書」、議院回付請願書類原議(九)、国立公文書館デジタルアーカイブ蔵。
  62. ^ 明治節創定ノ件(長岡市観光院町九百七十五番地平民無職野本恭八郎呈出)」、議院回付請願書類原議(九)、国立公文書館デジタルアーカイブ蔵。
  63. ^ 第46回帝国議会衆議院請願委員第二分科第1号大正12年1月29日
  64. ^ 明治節創定請願ノ件」公文雑纂・大正十二年・第十三巻・帝国議会三・請願一、国立公文書館デジタルアーカイブ蔵。
  65. ^ 第50回帝国議会衆議院請願委員第一分科(内閣、大蔵省所管及他の分科に属せさるもの)第1号大正14年1月26日、6頁2段目から。
  66. ^ 明治節創定ニ関スル件」公文雑纂・大正十四年・第十六巻・帝国議会二・請願、国立公文書館デジタルアーカイブ蔵。
  67. ^ a b c d e f g 君意民声の結晶 明治節 明治節請願の顛末」天業民報社、1927年。
  68. ^ 第50回帝国議会衆議院請願委員第一分科(内閣、大蔵省所管及他の分科に属せさるもの)第5号大正14年2月23日、3頁末尾から4頁
  69. ^ (1)中興節又は明治節設定に関する請願の件」請願建議関係文書、自大正6年至大正14年・内大臣より送付の請願、国立公文書館デジタルアーカイブ蔵。
  70. ^ 明治天皇ノ御偉業ヲ永久ニ記念スヘキ祝日制定ノ請願ノ件」公文雑纂・大正十五年~昭和元年・第十八巻・帝国議会三・請願二、国立公文書館デジタルアーカイブ蔵。
  71. ^ 『昭和天皇実録』同日条。
  72. ^ 明治節(メイジセツ)とは”. コトバンク. 2020年8月17日閲覧。
  73. ^ 『官報』1927年3月3日詔書「十一月三日ヲ明治節ト定メラル」、NDLJP:2956509/18
  74. ^ 「今上陛下 明治節制定の詔書」『大日本詔勅謹解. 第2』日本精神協会、1934年、323頁、NDLJP:1243142/170
  75. ^ 『官報』1927年3月4日、勅令第25号「休日ニ関スル件改正ノ件」、NDLJP:2956510/1
  76. ^ 昭和二年勅令第二十五号休日ニ関スル件中「明治節」ハ祝日トス”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 公文類聚・第五十一編・昭和二年・第十四巻・官職十・任免(外務~文部)・試験・雑載、族爵、儀典. 2020年8月18日閲覧。
  77. ^ a b 小学校令施行規則第28条、NDLJP:1453388/33
  78. ^ a b 大阪朝日新聞 昭和2年(1927年)11月2日記事「『明治節』制定の件公布され国民の宿望ここに貫徹 /参賀の儀を行い群臣に宴を賜う/但し本年は三殿の御儀だけ」。神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫. 2020年8月17日閲覧。
  79. ^ a b 近森一重 『小学校音楽指導書 実際篇』1939年、113頁、NDLJP:1463457/64
  80. ^ 『官報』1928年3月28日雑報「大礼奉祝歌並に明治節唱歌募集について」文部省図書局、NDLJP:2956833/16
  81. ^ 『官報』1928年7月4日彙報「明治節唱歌歌詞入選者」「明治節唱歌歌詞」文部省、NDLJP:2956916/5
  82. ^ 『官報』1928年9月12日彙報「明治節唱歌楽譜入選者」文部省、NDLJP:2956976/4
  83. ^ 質問「新年節、紀元節、天長節、明治節の四大節の歌の歌詞が知りたい」に対する池田市立図書館の回答”. レファレンス協同データベース. レファレンス事例詳細. 国立国会図書館. 2020年8月19日閲覧。
  84. ^ 明治節唱歌歌碑(乃木神社)と堀澤周安” (讃州菴、2020年8月19日閲覧)によると堀澤周安は高松高等商業学校(現香川大学経済学部)講師であったというが、それが明治節唱歌入選時のことかは分からない。
  85. ^ 五 善通寺を行く”. 香川県立図書館. 2020年8月19日閲覧。
  86. ^ 明治節唱歌歌碑(乃木神社)と変体仮名”. 讃州菴. 2020年8月19日閲覧。
  87. ^ a b 質問「大正~昭和初期にかけて大阪府立市岡高等女学校の音楽教員だった杉江秀という人物の生没年と姓名の読み方を調べており、手がかりとなる資料をご紹介いただきたいです」に対する大阪府立中之島図書館の回答。”. リファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2020年8月19日閲覧。
  88. ^ 近森 (1939) 113頁 (NDLJP:1463457/64) によると杉江は当時「大阪市天王寺高等女学校」(現在の私立四天王寺高等学校か)の教諭であったともいう。
  89. ^ 「明治神宮例祭大祭」皇軍発行所編纂部輯『皇室の御近状』1938年、12頁、NDLJP:1112026/84
  90. ^ 明治節奉祝実施要綱(昭和13年9月30日内閣情報部国民精神総動員部会決定)。明治節奉祝式挙行に関する件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 自昭和12年1月至昭和15年12月 院内通知 秘書掛. 2020年8月18日閲覧。
  91. ^ 明治節奉祝実施要綱(昭和15年10月24日次官会議決定)。明治節奉祝実施要綱ニ関スル件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 枢密院文書・官規ニ関スル書類附儀礼. 2020年8月18日閲覧。
  92. ^ 神戸新聞1942年11月4日、神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫所蔵。
  93. ^ 明治節奉祝実施要綱(昭和19年10月18日大政翼賛会事務総長通牒)。明治節奉祝実施要綱”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 昭和十七年~昭和十九年・儀式祭典・第五冊. 2020年8月18日閲覧。
  94. ^ 『官報』1946年10月9日、文部省令第31号、NDLJP:2962435/1
  95. ^ 新憲法の公布日をめぐる議論 | 日本国憲法の誕生”. www.ndl.go.jp. 2020年8月20日閲覧。
  96. ^ a b c 「文化の日」を「明治の日」に!? 自民内で法改正の動き”. 東京新聞 TOKYO Web. 2020年8月20日閲覧。
  97. ^ 第2回国会参議院文化委員打合会第2号昭和23年2月19日026石田幹之助
  98. ^ 第2回国会参議院文化委員打合会第2号昭和23年2月19日098石田幹之助
  99. ^ 第2回国会参議院文化委員打合会第2号昭和23年2月19日028藤岡由夫
  100. ^ 第2回国会参議院文化委員打合会第2号昭和23年2月19日029長谷部言人
  101. ^ 第2回国会参議院文化委員会第4号昭和23年2月26日008三島通陽
  102. ^ 第2回国会衆議院文化委員会第9号昭和23年6月8日011竹尾弌。衆議院竹尾弌議員紹介「明治節を祝祭日に指定の請願」1948年4月6日、第346号(第2回国会衆議院文化委員会第5号昭和23年4月13日会議録情報)。
  103. ^ 第2回国会参議院本会議第59号昭和23年7月4日111山本勇造
  104. ^ a b 「文化の日→明治の日」運動10年超 戦前回帰の指摘も”. 朝日新聞デジタル. 2020年8月20日閲覧。
  105. ^ 明治の日推進協議会とは/本協議会沿革”. 明治の日推進協議会. 2020年8月20日閲覧。
  106. ^ a b c 明治の日推進協議会役員一覧”. 明治の日推進協議会. 2020年8月21日閲覧。
  107. ^ 特定非営利活動法人昭和の日ネットワークとは? – 4月29日は 昭和の日 です”. 2020年8月21日閲覧。
  108. ^ a b c 「明治の日を実現するための議員連盟」支援集会”. 明治の日推進協議会. 2020年8月21日閲覧。
  109. ^ 「明治の日を実現するための議員連盟」支援集会のご報告”. 明治の日推進協議会. 2020年8月21日閲覧。
  110. ^ 旧民社党委員長の塚本三郎氏が死去”. 日本経済新聞 電子版. 2020年8月21日閲覧。
  111. ^ 【謹告】弊会会長・塚本三郎の逝去について”. 明治の日推進協議会. 2020年8月21日閲覧。
  112. ^ 【謹告】新会長の就任について”. 明治の日推進協議会. 2020年8月21日閲覧。
  113. ^ 国柱会について”. 宗教法人 国柱会. 2020年8月21日閲覧。
  114. ^ 里見日本文化学研究所とは”. 里見日本文化学研究所. 2020年8月21日閲覧。
  115. ^ 日本国体学会とは”. 日本国体学会. 2020年8月21日閲覧。
  116. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “里見岸雄(さとみ きしお)とは”. コトバンク. 2020年8月21日閲覧。


「明治節」の続きの解説一覧




明治節と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明治節」の関連用語

明治節のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明治節のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの明治節 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS