新保駅 駅構造

新保駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 06:50 UTC 版)

駅構造

山間の弓字カーブのしかも川を跨ぐという地理条件に加え、単線から信号所化、乗客駅化、さらにスイッチバック化、貨物側線併設へと進化し設備が後付けで付け足されたため複雑な構造になっていった。

高架駅で、単線の本線の西側には敦賀方引き込み線と対面式ホーム2面2線が設けられた。本線東側には側線とそれに連なる今庄方引き込み線があった。それぞれの線路には渡り線が設けられた。停車する下り列車のみがまず今庄方引き込み線に入り、それから敦賀方引き込み線のホームに入るという仕組みであった。上り列車の場合は先に敦賀方に入り、そして今庄方に待避してから本線に戻っていった。

後期には三重連などの工夫もあって通過列車はスイッチバックをあまり必要としなかった。

今庄方引き込み線は北陸トンネル建設時には延長され葉原竪坑への資材運搬拠点とされた。北陸トンネルにはいくつもの竪坑が掘られたが、筒石駅のようにトンネル駅として転用する意向は、当初よりなかった。

駅跡地

樫曲トンネル(敦賀市獺河内)

国鉄バスに転換後、築堤跡路盤は県道に流用された。敦賀 - 今庄間旧線の現役時代の道路は築堤を見上げる形でまとわりつくようにところどころ交錯し、葉原 - 山中間に並走道路はなかった。新保駅周辺の廃線前の道路は木の芽川に沿った細い路地で駅の東側は北陸自動車道の下となっている。かつて獺河内バス停があったところの膨らみはホーム跡ではなく信号制御管制塔跡である。記念碑が建てられたが、道路改修工事の度に場所が微妙に移動している。現在は獺河内バス停も木の芽川の北側に移動している。敦賀方引き込み線跡には建物が建ち私有地となっている。今庄方跡は国道と北陸道に変貌。

なお、新保駅南方の獺河内、樫曲両トンネルは北行き一方通行として機能していたが、2002年国道476号木ノ芽峠トンネル開通に伴う道路整備によって樫曲トンネルは歩道として保存されたものの、獺河内トンネルは拡幅され原型を留めなくなった。同時に、木の芽川にかかる旧新保駅高架橋梁も新たに架け替えられた。

隣の駅

日本国有鉄道
北陸本線
敦賀駅 - (深山信号場) - 新保駅 - (葉原信号場) - 杉津駅

  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、145頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b c 鈴木文彦「北陸本線旧線跡を行く」『鉄道ジャーナル』第33巻第2号、鉄道ジャーナル社、1999年2月、38-40頁。 


「新保駅」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新保駅」の関連用語

新保駅のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新保駅のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新保駅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS